見出し画像

はじめに

はじめまして。
にぎわいデザイナーの洲崎です。
「浪漫人を増やし、にぎわいを創出する。」をミッションに掲げる風街浪漫舎という会社の代表をやっております。
企業や地域の成長戦略を共に描き、一緒に汗して具現化することをモットーに2023年に一念発起し起業しました。
このnoteでは、事業づくりや地域活性においてや、日々の生活の中で感じたことや気づいたことなどを悠々自適に書き溜めていこうと思っています。

デザインとの出会い

デザインと聞くとデザイン家電とかデザイン住宅とか、なにか大袈裟に形容するための飾り言葉のようにも聞こえ、なんだかカッコつけているだけのような、逆にかっこ悪くもあり、複雑な気持ちなのですが、その捉え方は本質ではなく、現在のデザイナーの守備範囲は10数年前と比べて遥かに広がってきている状況です。

私は22歳から広告の世界に足を踏み入れました。きっかけはアートディレクターの大貫卓也氏の影響が大きく、これまでのCMやポスターの概念を覆す、ユーモアセンス抜群でかつシンプルで、何とも言えない気持ちが記憶に刷り込まれていく感覚が病みつきになり、私もこういったチャーミングな表現者になりたいと広告表現の世界へとズブズブ入っていきました。今見ても色褪せない、心がザワつく作品ばかりで、今の時代の表現を借りると「エモい」という感覚に近いのかもしれません。

大貫卓也氏の当時のCM(としまえん、ラフォーレ原宿、カップヌードル)

デザイン観の転機

転機は突然やってきました。2011年の東日本大震災です。

憧れを持って入った広告の世界に対し、作っては消え、作っては消えの「消耗」といったネガティブな違和感を抱いていたタイミングでの出来事で、もっと社会や文化に資するデザインが出来ないかとモヤモヤしていた40歳目前の私に突きつけてきた大きな事件でした。街中や電車などの広告は道徳的な配慮からかすべて剥がされ、CMもACがずっと流れていました。

私なりに何か出来ないかと東日本復興支援プロジェクトチームに手をあげ、ミーティングや視察など、はじめて見る世界に模索と葛藤の日々が続きました。被災後早々に現地に出向き、そこで見た光景は想像していた以上に絶望的で、同時に自分の無力さを思い知らされました。そんな中、津波で心に傷を負った浜の女性たちに「ミサンガづくりを通じて生きがいと希望をつくる」といった「浜のミサンガ 環(たまき)」の事業が創出されました。漁に出られず活躍の場を失ったイワシの漁網を使い、ミサンガを開発、設計。浜のお母さんたちに作り方を教え、避難所に集まってのミサンガづくりがその後二年に渡りお母さんたちの日々の日課となり、以前はシンと静まり返っていた避難所から嘘のような明るい笑い声が増えていったのがとても印象的でした。

私はその事業に関わることを通じて、地域課題や社会課題と向き合って行くようになりました。

三陸に仕事を!プロジェクト 浜のミサンガ 環(たまき)CM

失うこと。生み出すこと。

東日本大震災で学んだこと。それは「失うこと」と「生み出すこと」についてです。

「失うこと」に関しては、大切な何かを失ったことがある人にしか答えはないと思っていますが、私は父を亡くしたときに、失うことを体感し、少しだけ理解したと思っています。ガンと宣告されて数ヶ月の間で父は亡くなりました。その数ヶ月は、父の若い頃の話を聞いたり、旅行先での話を聞いたり、趣味の話を聞いたりと、父の知らなかった一面を知るかけがえのない時間となりました。
あっという間に父が他界してしまったこと、東日本大震災による津波のこと、これらはある意味一瞬の出来事でしたが、そうではなく、長い年月をかけてゆっくりと失われていることがあるとしたらどうでしょうか?私は地域と向き合って早10年になりますが、日本はいたるところで大切なものが少しずつ失われていっているように感じています。特に地方は、日本にとってかけがえのない魅力で溢れています。地域によって独自の歴史や文化や自然や産業や暮らしなど、沢山の魅力が存在します。しかし、ある日気づくのです。自分の身近にあった大切なものがなくなっていると。

しかし、当の本人たちは、その素晴らしい魅力になかなか気付けません。それは「当たり前」になり過ぎているからではないでしょうか。なので私みたいなヨソモノが問いかけることによって、その土地の「無意識になった魅力」を「意識化の魅力」へと再認識させていく必要があると思っています。
意識しはじめるとなんだか気になってしょうがないことってありませんか?好きでもない子が夢に出てくると妙に気になってしまう現象に似ているかもしれませんが、そのように「意識化」されることによって人は動き出し、なにかを生み出そうとする傾向にあると思っています。

「にぎわい」の再定義

地域の事業者や自治体の方々と話をしていると良く耳にするのが「にぎわい」というワードです。
「にぎわい欲しいよね。人が減って淋しいよね。」
そうなってくると、どうやって「にぎわい」を生み出すか、といったことが課題解決のための焦点になってきます。

では、そもそもの話、「にぎわい」って何でしょうか?普段「にぎわい」と聞くと、そこで起こっている「賑わっている状態」を想起すると思いますが、私が考える「にぎわい」は「にぎにぎ わいわい」といった考え方で再定義した概念となります。

これまで企業や地域の仕事に携わってきて、「わいわい」づくりはある意味、計画とお金があれば出来あがると実感しています。イベントを開いたり、研修を開いたりはその一例です。それはとても意義のあることですが、問題点として「一過性のにぎわい」に終わってしまうことが多く、持続可能でないと感じてきました。

企業や地域に本当に必要なのは、組織の仲間たちや多様なセクターの人たちと「にぎにぎ」している「信頼と共感と尊重」でつながりあっている状態を生み出すことなのではないでしょうか。それが出来ていない「わいわい」は本質的ではないと私は考えます。逆に一度「にぎにぎ」出来てしまえば、どんな失敗や問題が起ころうと、次なるチャレンジの糧として積み上がっていきます。そいった、困難をしなやかに乗り越え回復する力を持っている企業や地域はとても強く、可能性に溢れている状態であると言えるのではないでしょうか。

にぎわいデザイン

そこで行き着いたのが「にぎわいをデザインする」という考え方です。その概念として以下の3つの握りが重要と考えています。

①事業と握る ②社会と握る ③自分と握る

①の事業と握る、とは「経済的価値」を指します。人はお金がなければ生きていけませんし新しいチャレンジも出来ません。そんな中、企業や地域ではたくさんの業務や目の前のことに追われ、思考が煩雑になり、行動も最適化されていないのではないでしょうか?行き当たりばったりの日々に、本当に達成すべきことを見失いがちにならないよう事業目的を明確化する必要があると考えます。

②の社会と握る、とは「社会的価値」を指します。人はお金がたくさんあるだけでは豊かな生き方とは言い切れません。人として、企業として、地域として、明るく希望のある未来を次世代へとつなぐこと。今、日本はたくさんの課題に溢れ、その問題の根底にアプローチをかけるソーシャルグッドな生き方が求められていると考えます。

③の自分と握る、とは「絶対的理想」を指します。自分の理想を明確化し「経済的価値」と「社会的価値」を紐づけることにより自身や組織、そして事業のブランド価値を高めながら、本質的な「にぎわい」を創出可能になると考えます。

この3つの握りを意識しながら、企業や地域の成長戦略を描くための活動や伴走をしています。昨今重要視されはじめている「ゼブラ企業」の考え方にも近しい概念と捉えております。今後も「にぎわいデザイナー」として、いろんなことにチャレンジしていきたいと思っています。

最後に
あらためまして、このnoteでは、事業づくりや地域活性においてや、日々の生活の中で感じたことや気づいたことなどを悠々自適に書き溜めていこうと思っています。

私の興味のある分野は「デザイン」「事業構想」「にぎわい」「地域活性」「浪漫」などです。定期的に書き溜めていく予定でいますので、気になった方がいたら読んでいただけたら嬉しいです。


「浪漫人を増やし、にぎわいを創出する」
風街浪漫舎
企業や地域の成長戦略を共に描き伴走します。詳しくはホームページよりお問い合わせください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?