見出し画像

「アート」と「デザイン」の境界

私はデザインの仕事に携わって30年近くになります。数年前まで通っていた事業構想大学院の講義やゼミの中でも、「アートとデザインの境界」について議論したことがありました。

僕の中でのひとつの解として「デザインは答えに向かい、アートは問いに向かう」と考えています。

先日、興味深い記事を見ました。その記事がコチラです。

国際的写真コンテストでAI画像が優勝 「主催側にAIを受け入れる準備があるか試した」 作者は受賞拒否
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2304/18/news146.html

記事を引用しながら要約します。

国際的写真コンテスト「Sony World Photography Awards 2023」において、AI生成画像がクリエイティブ部門の最優秀賞を受賞した。作者のボリス・エルダグセンさんは「私は生意気な猿として、主催側にAI画像を受け入れる準備があるか調べるために応募した」とし、最終的に賞を辞退した。

としている。「生意気な猿が、人間の許容や思い込みに楯突く」というシニカルな彼に、私は大変共感を抱いた。

さらに記事はこうつづきます。

「SWPAは作品制作にどんな機器を使ってもいいとしていた」として、作品提出当初はAIで生成したことを明示していなかった。タイトルの「PSEUDOMNESIA」が「偽の記憶」という意味であることなどヒントはあったが、制作方法を明確に提示したのは受賞後だったという。その作品がこちらです。

PSEUDOMNESIA

制作方法を提示されたSWPAは、4月14日までに受賞作一覧のページからエルダグセンさんの名前と作品を取り下げた。しかし、詳細な取り扱いについては発表していないとのこと。

そして、エルダグセンさんの賞辞退後のコメントが、また興味深いのです。

「受賞作がAIで生成されたと分かった、もしくはそうでないかとうたがっていた人はどれくらいいるでしょうか。何か納得できないですよね。AI生成画像と写真はこのような賞で比較するべきではありません。違う存在なのだから。AI生成画像は写真ではない。よって私はこの賞を受け取りません」

 エルダグセンさんは、主催側にAI画像を受け入れる準備があるか調べるために応募したとし「結果、その準備はなかった」と述べている。写真界に対しても「何が写真で、何が写真ではないかのオープンな議論が必要」と問題提起しており、賞の辞退により議論を加速させたいとしている。

私はこの記事を読んで、アートに大きな変革期が訪れたんだとあらためて確信した。

アートは、どの時代においても必ずどこかで変革が起こります。変革を起こすフールが現れるというのが正しい表現でしょうか。

現代アートの出発点としてよく語られるのがデュシャンの「泉」という作品です。磁器の男性用小便器を横に倒し、"R.Mutt"という署名をしたものに「Fountain(噴水/泉)」というタイトルを付けたものである。

Fountain(噴水/泉)

この作品は、1917年にニューヨークで開催された「ニューヨーク・アンデパンダン」展に出品しようとした際に、教会側がその作品の出展を許可しなかったことが事の発端でありました。出品料を支払えば無審査で誰でも出品できる規則であったにもかかわらず、協会はこの作品の出品を許可しなかったのです。それはそうだろう。それまでのアートは写実主義や印象派など、アート=美しいものであり、誰が小便器に美しさを抱くのでしょう?しかしアートの本質は「美しさ」ではなく「破壊」にある、とデュシャンも私も思います。「美しさを守り続ける」のではなく「美しさを問い続ける」ことにアートの価値はあるはずだと考えられるのです。

音楽の世界も同様だと思っています。19世紀は多くの優れた作曲家や作品が誕生した時代で、バロック音楽や古典派音楽、そしてロマン派音楽と時代とともに音楽を破壊し美しさを問い続けてきました。古典派が貴族中心の作曲家たちが築き上げた「形式の美しさを追求した音楽」に対して、ロマン派は一般市民の作曲家たちが「形式にとらわれない」新しいスタイルを築き上げていきました。その背景にはフランス革命があり、市民たちの反骨精神がロマン派音楽を育てていったのです。大事なのは「形式」よりも「想像力」、それが型にはまらない超絶技巧の世界を開き、終いには楽器のレベルまでも引き上げていったのでした。

アートとはそういった意味で、「世の中のルール自体を変える」ことに価値があると考えられます。

先日の仕事での出来事ですが、得意先へのロゴの提案時に「このロゴってAIでつくってないですよね?」とクライアントに聞かれました。その時わたしは「こんな質問、ちょっと不謹慎なのでは?」と思ったのですが、あと数年もすれば「このロゴはAIでつくったスペシャルなロゴです」となんの違和感もなく胸を張って提案する日が来るのだろうとさえ予想されます。それが「世の中のルール自体を変える」アートの役割であり、それを広く社会が受け入れたときこそ、アート(問い)がデザイン(答え)へと変わる瞬間であると私は考えています。


「浪漫人を増やし、にぎわいを創出する」
風街浪漫舎
企業や地域の成長戦略を共に描き伴走します。詳しくはホームページよりお問い合わせください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?