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犬のまなざし

妻の希望で、2023年8月下旬にカニンヘンダックスフンドを飼い始めた。
私にとって初めての犬との生活である。日々、いろんな新しいこと、知らなかったことと出会う。抱っこの際の注意点とか、カニンヘンダックスフンドは元々ウサギを追いかけていた猟犬種らしいこと(事実かは知らない)とか、お手は簡単に覚えさせられても、おしっこの場所はなかなか覚えさせられないとか。
それらは大抵の場合、犬に関する知識だ。しかし犬との生活は、時々、自分に関する新たな知識も与えてくれる。そこまで大袈裟でもないか。
例えば、犬の瞳は綺麗だ(何をもって綺麗と感じるのかはよくわからない)。キラキラの具合なのか、本当に透明度的なものが高いのか。揺れ動きがないからなのか、あるからなのか。とにかくその綺麗な瞳で、まっすぐ飼い主である自分を見つめてくる。
そのとき。そういう瞳で見つめられると、すべてを見透かされているような気がして、目を逸らしたくなる自分がいることを知る。自分が何か嘘をついているような気分になる。犬への視線に込めた(つもりの)愛情や、君といることが楽しいよ的な気持ちが嘘なのではないかと思えてくる。すごく空っぽなものしか持っていない気がしてくる。犬の瞳は充足している。感情に満ち満ちている。その感情と対峙するだけの美しさを持ち合わせていないことへの罪悪感のようなもの。などを感じる。そういう自分であることを知る。
人同士でも本当はそうなのだろうね。でも、お互いにそうだから、なあなあにできる。犬を前にして、あの瞳で見つめられては、ごまかせないので困ってしまう。
こんな人間が本当は犬を飼うべきではないのかな、と書きながら思う。でも、こんな人間が犬と暮らして、こういうことを感じさせてもらえることの幸運はしっかり感じられるよ。ありがたい、ありがとう、妻。

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