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殺せへんたら食べるな

漁師の研修が始まり、はや2か月半が過ぎました。

日々湖魚との出会いにときめき、

生き物への感謝が絶えない日々を過ごしています。

(この子は半年前に初めて自分が煮付けた二ゴロブナちゃんっ!子持ち)

そんな中、食育に関して個人的に関心を持つようになりました。

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これまでの僕は

スーパーで綺麗にパッキングされている食品

飲食店で立派に盛り付けられているような料理

など

既に加工された食品にしかほぼ接したことがなく

生き物を捕獲して殺して捌いて食べるまでを

自らの手でしたことがなく

それはとても鮮度のある経験でした。

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跳ねて、もがいている姿

その生き物を殺す

その過程で血や臓物を取り出す

命を頂く上では何も特別なことではないのですが、

親から食への感謝は強く言われてきて実際にしてきたとはいえ

今までの命を頂くことへの実感のなさを恥じたのをはじめ

命や食に対しての感覚が一変されました。

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何世代か上の方から

「自分で鶏を殺せへんたら食うな」

っと、昔に言われていたとお聞きしました。

一瞬にして腹落ちしました。

「そらそーだ。」

鶏肉食べたいと願ったら、鶏肉が出てくるわけないですもんね。。

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そういえば、自分が普段食べているスーパーで買ってきた動物性食品(その他食品ももちろん)はどこで・だれが・どのように捕獲(飼育)して殺して捌いて加工して・どんな流通を経てここに並んでいるか、それすらも全く知らない。。

このことに対してもすごく違和感を感じました。

それ以降自分が普段から買う食品の原材料や産地、その流通などを出来る範囲で調べたりするようになりましたが、想像していたこととはかけ離れた事実をたくさん知りました。

全く知らないでよく平然と食べていたな自分。

もし業者さんたちがいなかった場合

肉をほんのわずかでも食べたかったら

自ら飼育(または捕獲)して、殺して、解体しないと食べられない。

今と同じペースで食事をしようと思ったら自ら全て準備しないといけない。

家畜などあまり見かけなくなった現代において、生き物の命を頂いていることを肌身で感じている人ってどのくらいいるんだろう。

「お残しはダメっ!」

「感謝して食べなさい」

「いただきますっ!」

「ごちそうさまでしたっ!」

これに対しての感覚というか想像するイメージも

生き物の命を感じてきた人とそうでない人で全く違うんじゃないだろうか。

中々実感する機会がない現代

仮にそうでない人は、

自分の子供たちに命や食の尊さをどこまで伝えられるのだろうか。

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僕はまだまだ漁師見習いという立場ですが、

漁師という日々を送らせて頂き、

命や食との向き合いの大事さを感じ始めています。

探求しても結論が出せることではないかもしれませんが

一次産業者として(命を頂くことを実感している者として)

心震えるような毎日の経験から伝えていくこと(食育)

また一つ重要な役割ではないのかなと沸々と感じています。

etc.

日々、口にしている食品(特に動物性)の

最初から商品になるまでの流通

これだけの人口に対して供給するには毎日どれだけの命を頂いているのか

この辺りは個人的にもっともっと知ろうと思いました。






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