恥ずかしいことと、かっこ悪いことは違う。西加奈子さんの「きいろいゾウ」を読んで。
挑戦することをためらっている人に、おすすめしたい本です。
どんな本なのか、伝えるが難しいけれど。
この本の感想を書きたい。
そう強く思ったけれど、どこから伝えたらいいのか、すごく悩んだ。
見どころ、というか、書きどころがたくさんあって、どの切り口で伝えるかしばらく迷ってしまったからだ。
通じ合えない寂しさを乗り越えた人たちの話とも言えるし
大人になるってどういうことかを考えさせてくれる話とも言える。
誰と生きていくのかを決める話とも言えるし
見えない世界を感じる人の話とも言えるかもしれない。
いろいろ考えた結果、私が1番好きなシーンを書くことにした。
9歳の大地くんから、ツマさんへ宛てたラブレター。
「恥ずかしい」ことが怖い。
ささいなことがきっかけで学校に行けなくなり、恥ずかしさから逃げるように、東京から田舎の祖父母の家にやってきた大地くん。
大人から見たら「なんだそんなこと」って、思えることが、子どもにとってはとてつもなく大きな出来事だったりする。
自分の子どもを見ていてもそう思う。
それくらい、我慢しなよ。
それくらい、大丈夫だよ。
それくらい、やりなよ。
つい、そんな風に言ってしまったり、思ってしまったりするけれど、「それくらい」っていう基準は、私のものさし。
これまで38年生きてきた中で得た、「それくらい」だ。
8歳の息子にしても5歳の娘にしても、「それくらいを感じるものさし」を今作ってるところなんだよね。
9歳に似つかわしくないほど、しんとした目で物事を捉える大地くんは、この先いろんな感情に出会うことに、怖さを感じていた。
だけど、そんな大地くんも、やがて学校に行くことを自ら決意する。
お隣に住む、大人なのにちっとも大人らしくないツマさんのおかげで。
初恋の相手にもなった、ツマさんのおかげで。
ラブレターにあった言葉だ。
ちっとも面白くない漫才を全力でやる「つよしよわし」を見て、それは恥ずかしいことでも、かっこ悪いことでもないと学んだ大地くん。
一生懸命やることは、ちっとも恥ずかしくない。かっこ悪くない。むしろかっこいいんだ。
それを目の当たりにした大地くんは、きっとすごくかっこいい大人になるんだろうな。
かっこいい大人とは。
私はどんな大人なのだろう。
っていうか、私は大人なのかな。
感情の出し方なんて、20歳の頃と大して変わってない気がする。
子どもにすぐ怒っちゃうし、なかなか謝れないし。でも見た目は立派なアラフォーなんだよね。
年齢を重ねると、ある程度「こうしたらこうなる」っていう法則みたいなものがなんとなく分かってくる。
そうすると、「こうしたら失敗しそうだな」って、挑戦を恐れるようになる。
失敗は怖いし、恥ずかしい。
そういう認識でずっと生きてきた。
でも、今は違う。
失敗は挑戦したからこそ得られる結果だ。そこで恥ずかしいと思うのは悪いことじゃない。
恥ずかしいのは、何もしないこと。
かっこ悪いのは、何もしないのに外野でワーワー騒ぐこと。
現状維持は後退の始まりだって、ウォルト・ディズニーも、ゲーテも、ナイチンゲールも、松下幸之助も言っている。
自分はかっこいい大人だなんて、とても言えないけれど、挑戦をあきらめない大人でありたいなと思う。(今頑張っているLP作りはその1つ!)
そして、9歳の子から、ステキだなって思われる大人でありたい。
(息子がそう思ってくれていたら嬉しいな…)
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