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トミーの存在。ありのままじゃなくていい。イイトコvol.7

自分の周りによくいる名前やあだ名の人っていませんか??

わたしは自分の名前「千尋」が気に入ってるので
「ちひろ」という名前の人は
ほぼ無条件で最初から好きです(笑)

漢字が同じだと、さらに親近感アップ。

「尋」という漢字を説明するときに
「千と千尋の〜」って言えるようになってから
だいぶ楽になったけど

以前は

「ヨ、エロ、寸だよ」って説明するのは
千尋さんアルアルです(笑)


***


トミーというあだ名の友人が二人います。

二人とも、背が高くて、かわいいというより、カッコイイ系。

自分の軸をしっかり持ってて、自分の好きなものが分かってるし、似合ってる。

いやなことがあっても、うまく受け流せてる感じがして

リネンのようにしなやかで、さらっとしてるトミー。(ラミーじゃないよ、トミーだよ)


部屋もすっごくおしゃれ。

アンティークというか、古いものを大事にするというか。

そんな二人のトミーがわたしは大好き。

***


一人は、今は福岡にいる、トミー。

前の職場のときの取引先の人で、旦那さんの仕事の関係で、京都から金沢に引っ越してきた。

仕事ではわたしではなく、店長が直接のやりとりをしたのだけど

引っ越してきて、知り合いもいなくて、っていうので

お店に遊びにきてくれたところ、お互い初妊婦ってことで、意気投合。

それから、妊婦教室いっしょに行ったり、ご飯食べたり。

お互い初の出産だけど

助産院で産みたいとか、食べ物の嗜好とか、好きな服の雰囲気とかが似てて

一緒に居て、全然疲れない。

トミーの話す京都弁も好きで(京都生まれの京都育ち)

聞いてるだけで心地よい感じ。

わたしは、メキシコのスペイン語が好きなんだけど

聞いてるだけで楽しくなるというか、心地いいというか。

話してるとそんな気持ちになる。


京都弁の文面で「年末に京都で里帰り出産やー」って聞いてたら

はやくも旦那さんの転勤が決まってしまい(多分金沢は半年くらい?)

短い期間のお付き合いだったけど、すごくフィーリングがあったからか

転勤先の福岡に2回ほど遊びに行ったり。

お互い、まめに連絡を取るという感じでもなく

でも、ふとしたときに、元気ー?ってメールしたり

離乳食や、予防接種や、夜泣きの相談したり

超達筆でかっこいい手紙と一緒に

わたしの好きそうな素朴なおやつが届いたりと

離れていても忘れない、気持ちが近くに居る人。

年上なのもあって、頼れるお姉さんトミーです◎


***


もう一人は、職場が同じで、産休に入ったトミー。

このトミーとは、年も同じで、とにかく共通の友人が多くて笑えた。

えっ、その人知ってる!とか、あー、あの人ねーとか笑笑。

おかげで会って3回目くらいで、政治の話するくらいの仲に(笑)

トミーになら、話しても大丈夫って思えることがたくさんあって

産休に入ってからも

ちょくちょくおうちに遊びに行って持ち寄りご飯をしたりしてる。

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「人は役を演じている。社会的役割を。だから、いろんな自分がいていい」

確か、平田オリザさんが言ってたのかな。聞いたことがある。

そう、だれでも無意識に相手によって、役割を変えてるよね。演じてる。


子供の前ではお母さん
旦那さんの前では奥さん
仕事場では、仕事の役割や立場の人。


友達の前でも、相手によって話すこと、話したい内容は違う。

保育園のママ友と、大学時代の友人にする話の内容は違う。

この話はこの人だけにする。

この話は、この人にはやめておこ。

そうやって選んでる。


ありのままの自分を見せるなんて出来ないし

そんなのしなくていいし

しちゃいけないと思う。

だけど、あまりにも演じる過ぎると、自分ってなんなのとか

相手に軸を合わせ過ぎるのも疲れる。


だから

波長が合うとか
居心地がいいとか
いっしょにいて落ち着くとか

そういう人といると、素の自分が、ぽろっと出てくる。


このトミーはそういう人。

お腹を抱えて笑うことも
真剣に相談をすることも
弱音を吐くことも
愚痴を言うこともできる

過去の恋愛話ももちろん笑笑。


そんな相手がすぐ近くに居るのが

わたしはとてもとても嬉しくて

そういう人に会えたとき、わたしはわたしでよかったって思うのだ。

今の自分があるのは、過去の自分が居るから。

だから、すっごくステキな人に会えて

相手も同じように感じてくれてることがわかったとき

相手はもちろん、自分も好きになる。

わたしはわたしでよかったって。


時間は限られてるから

浅く広くではない、深く狭く、人と付き合って、過ごしていきたい。

その方が、楽しいもん。


***

「自分の夢を具体的な目標、ゴールに設定する」っていうのを考えたときに

その部分でちょっと悩んだんだけど

そもそも浅く広くなんて無理。

万人受けなんて、目指せない。


原点は、自分がスキなモノ、コト、ヒトを伝えるっていうこと。

それを受け取った人が、同じように感じてくれたり

新たな視点や感情の芽を出してくれたら、嬉しいなって。

自分が知りたいから、学びたいからやってるだけ。

それがちょっとでも誰かの役にたったり

気持ちが軽くなったりしたらいいよねって、スタンスだったはず。

だから、軸足を相手に置いちゃいけない。
自分を見つめる。
わたしなりの切り口で伝える。

トミーのことを考えてたら、そんなこと思ったよ。

思い出させてくれてありがとう、トミー。

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いつかの、持ち寄りおうちごはん。

シーフードカレーに目玉焼きのっけなんて

最高過ぎたわー。

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