それが、いってみるということ。
夏になると、メキシコのSan Cristobal de Las Casas 通称サンクリの石畳の道を思い出す。
石畳の先にあるホステルで出会ったフランス人も必ずセットで。
そのホステルは2段ベッドが置かれた大部屋と個室と共同キッチンがあった。
時間はあるけどお金はないバックパッカー大学生だった私は、少しためらいつつも大部屋を選んだ。
女ひとりだし、盗難があるかもしれないし、安全のためには個室がベターなのは分かっていたけれど、せっかくのひとり旅だし、他の国の人たちとの交流を楽しみたい、むしろそのために来たのだから、という理由で大部屋をチョイスした。
その大部屋には、もう1人か2人泊まっていたと思うけど、生活リズムが違うのか、ほとんど顔を合わせなかった。
ホッとした気持ちと残念な気持ちのまま過ごしていたら、共同キッチンでテキパキと何かを作っている細いフレームのメガネをかけた金髪の人がいた。
そのフランス人の彼は、友人と2人部屋に泊まっていた。そして1人だった私を見て、一緒にご飯を食べようと誘ってくれた。
翌日には観光ボートに乗りに行った。
宿に帰る途中にクリーニング屋さんがあって、ここはキレイに仕上げてくれるよと教えてくれた。
スペイン語が堪能で、メキシコの新聞社か何かで、インターンをしていると言っていた気がする。
たぶん、人生で初めての一目惚れだったと思う。当時付き合っていた人がいたけれど、そしてありがちかもしれないけど、
旅の魔力というか、解放感もあって、ほんの数日だったけど、目の前の人に夢中になった。
滞在中、教えてくれたクリーニング屋さんにジーンズを出した。取りに行ったら、ピシッとアイロンがかかっていた。しっかりと線がつき、まだホカホカと温かさが残るジーンズ。
そのジーンズの温もりを感じながら、あぁ、今自分は、これまでの自分が知らない体験をしている。
後ろめたさや罪悪感を覚えつつも、どこかでその感情を味わいたいと思っている。
そう強烈に感じたことを15年以上経った今でも覚えている。
私が別の街に行くため、長距離バスに乗るとき、彼は私の荷物をバス停まで運んでくれた。そして帰国前にもう一度、メキシコシティで会う約束をしたっけ。
アイロンのかかったジーンズは、たいした時間もかからず馴染み直して、センタープレスのごとく入ったラインは、メキシコシティに着く頃には、なくなっていた。
そして私は、何事もなかったかのように日本へ戻り、途切れていた日常をまた過ごし始めた。
今も心の隅っこが熱くなる、夏の記憶。
きっともう、これから会うはずのない人との思い出を書きたくなったのは、
「それが行ってみるということなんだ」
と、いまさらながら気づいて言葉にしたくなったから。
行ってみたからこそ、出会いが待っていた。
その出会いで見えたり、知ったり、感じたりした「何か」は、今も私をあの頃に戻してくれる。
感情が行ったり来たりする、ただの往復運動かもしれないけど、戻れる記憶や場所が自分の中にあるのは、いいことだって、私は信じてる。
その私だけが持てる思い出のひとつは、紛れもなく、私を作る一要素だ。
体験はモノみたいにつかむことも、持つこともできなくて、時間が経つと、あれは自分の妄想だったのかも…なんて、自分の記憶を疑いたくなることもある。
だってカタチがないから。
だけど、誰がなんと言おうとも、ううん、誰にも言わなくても、私には私の想いがあって、それは確かに存在するんだ。
それでいいじゃん。
そういうカタチに残らない体験を通してしか、感じられないこと、見えないことがあるって思ってる。
こんな風に、昔の自分のことを書きたくなったのは、美穂さんのnoteを読んだから。
こんなにも真っ直ぐに、自分の心の内側を描き、表現できる人に、私もなりたいなって思う。
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