見出し画像

文章が腐る。

吉本ばななさんの著書『小説家としての生き方100箇条』に、くり返し、くり返しでてきた「文章が腐る」という言葉。

この言葉が目に入るたびに、居心地が悪くなってくる。



それはきっと、これと同じくらい破壊力のある言葉を私は聞いたことがあって、そのときの感情も一緒に引き出されるから、敏感になっているのかもしれない。

それは
「ゴミみたいな文章を書きたくない」
という言葉。 

とあるライティングコミュニティに入っていたときに、10年戦士のプロのライターさんがいっていた言葉だ。

私はそのとき、ライターとしての活動はしていなくて、ただnoteに投稿をしていただけだったけど、とても強い言葉だから、いっとき書くのをためらった期間がある。


大丈夫かな
ゴミを量産してないかなって。


そんな風に思って立ち止まっていたことがあったけど、じゃあそもそもゴミじゃない文章ってどんなものだろう。




あのときの自分に伝えるとしたら
"自分"が出ている文章なんじゃない
って言いたい。

誰かから聞いた情報をコピペした横流しの文章ではなく、自分の意見がある文章。


私はこう思う。
私はこう感じている。


稚拙だろうが何だろうが、その言葉を選び、その表現を選んだのは自分。
つまり、責任は自分にある。

そう思って言葉を紡いでいけば、ただの情報にも想いは乗るはず。
むしろそれがなければ、書く意味なんてないんじゃないだろうか。


あのときうまく消化できずに、なんとなくうやむやにしてしまった問いが、今蘇ってきたのは、その想いを忘れずにいようって頭の片隅にあった引き出しが、今の環境がきっかけとなって、思いがけず開いたからなのかもしれない。


誰でも書ける文章は、これからはAIが書く。
じゃあ人間だから書ける文章は?

AIになくて、人にはあるもの。
それは感情。

つまり感情を伴った文章を書く必要が出てくる。


そしてその感情を伝えるには、翻訳と編集の意識が必要だと思う。

相手に伝わりやすいように、自分言葉を相手言葉に変換することが、翻訳。
相手がより理解できるように、情報の取捨選択をすることが、編集。


翻訳と編集の視点。


これからもっともっと勉強していきたいこと。私が情熱を注ぎたいこと。


あー、やっとここまできた。
やっとやっとわかってきた。

その最後のボタンを押してくれた吉本ばななさんの言葉に感謝。




なんだか偉そうなこと書いてるけど、まだまだまだまだな自分への自戒をこめて。

文章が腐らないよう、書くことを楽しみ、真剣に向き合っていこうと思ってる。



ありがとうございます! サポートいただけましたら、より良い文章を書くために、書く以外の余白の時間の充実に使わせていただきます◎