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海か山か(1236字)

「ねぇ、海と山だったらどっちが好き?」

えっと、どっちだろう。
どっちかというと…山?
でも好きな色は海みたいな澄んだ青色だ。海の景色もすごく好き。
でも山の空気を思いっきり吸い込んだ時の晴れ晴れしさに勝る爽やかさと言ったら他にない。やっぱり新緑の色も優しくて良いし。
でもでも、海のどこまでも続きそうな果てしなさは心まで解き放ってくれる。やっぱり海も素晴らしいじゃんか。
いや待て、本当に僕はその果てしなさが好きなのか?だだっ広いホールより狭いトイレの個室の方が落ち着くような陰気な僕だ、閉ざされた空間の方が居心地がいいだろ。そう考えたら、深い森の方がやっぱり僕らしい。僕が好きなのは山だ、違いない。
いいやまだ何か引っかかる。そうだ、水族館。僕は昔から水族館が大好きじゃないか。美ら海のジンベイザメを見たときは感動したなぁ。群れを成して泳ぐ魚や水しぶきを上げるイルカ、ぼんやりと流動するクラゲ。あの何とも言えない非現実感と涼やかな空間は僕の求めるものそのものだ。山じゃない、僕が好きなのは海だ。
うーん、でも非現実感があるのは海に限ったことじゃないかもしれない。山奥の神社を巡った時…そうだ高野山に行ったとき。あれも相当荘厳で非現実的だっただろう。木々に囲まれているときだってマイナスイオンで涼やかだ。なら決して海じゃなくたって、山だって理想的と言える。やっぱり山か?いやいや海も捨てがたいって。
じゃあ、僕が好きなのはなんなんだよ。僕自身のことなのに幾ら考えても答えにありつけないじゃないか。どうやったら分かるんだ?僕は僕自身のことすら十分に理解できていないのに何ができるっていうんだ?海も山も僕には広くて大きくて…勿体ないよ。

「ちなみに私は、山!」

そこではっと気が付いた。

「えっと、僕もどちらかというと山が好きかな…。」
「そうなの!じゃあ今度ハイキングでも行こうよ、お弁当持ってさ!」
「う、うん。僕なんかとでいいなら…いや何でもない、僕も行きたい」

彼女は新緑の色より浅瀬の色より爽やかに笑いかけていた。確かに僕に。

「よく飲み込んだね、その言葉。今君すごく良い顔してるよ。」

僕のぐるぐる巡り続ける自由思考を止めようとしてくれるこの女性は一体誰なんだ。

「…それに、マイナスな言葉も減ってる。いい調子。あぁ、何でもない。ほら、この店の卵焼き美味しいよ。君、卵焼きは甘い味付け派でしょ。」

なんでこの女性は僕の好きな味付けまで知っているのだろう。
そもそも僕はなんでこの女性と共に食事をしているんだ?
でも、まあ、いいか。

「じゃあ、ハイキングは来週末にしよう。迎えに行くよ。家…どこだったっけ。」
「細かいことはまたLINEするから。今は食べよう?」
「うん、そうだね。」

幸せだなぁ。いいなぁ。こんな時間がずっと続けばいいのになぁ。
海も山も、全部見に行こう、この女性と。そういえば名前は何て言うんだろう。
まぁ、いいか。


なぁ、あの男の人なんで二人分も注文してんだ?
あんま他の客ジロジロ見るんじゃないよ。

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