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中学時代の生徒会としての活動の話

こんにちは、これが88本目の記事となったすうじょうです。さて、今回は最近こればっかりとなっていますが、自分の経験や思いを語るエッセイです。内容は、タイトルの通りで私の中学時代の記憶について思い出しながら話していきます。これは、一応前書いたエッセイとつながっています。読みたい方はお読みください。

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これは、私が中学2年生の時の話。私が無事学習委員長になった後の話。委員長として毎月様々な活動をしていたが、その話はまたにして、ここでは生徒会としての活動について話していきます。

生徒会として初めての大きな仕事は、いわゆる「3年生を送る会」でした。これは、卒業式の前に生徒全員との別れをするという行事で、先生方が3年の間に撮った写真のスライドショーや合唱などで感謝と別れを告げる会です。最初なので、戸惑うこともあり、多少失敗がありました。しかし、結果としては無事成功しました。自分は裏方で仕事をしていたような気がしますが、詳しくは覚えています。主に、開始前と終了後の準備・片付けはした覚えがあるんですけど、後のことは昔のことなので覚えていません。まだ若いはずなのに歳を取った気がします。

大きくない仕事としては、始業式・終業式前と後にパイプ椅子やステージ上に話をする机?を準備・片付けすることがありました。また、毎朝早くに集まって、周辺の枯れ葉掃除やごみ拾いをしたあとに校門前で登校してくる生徒と先生に挨拶していました。

そして、これで生徒会の大きな活動は3年生までありません。3年最初の行事は入学式の準備でした。また、確か生徒会は全員出席でしたので、出ていた気がします。そのあとは新入生歓迎会的なものが仕事でした。これは生徒会による説明があるので、会長が生徒会を説明したりしました。また、このときに我が校の中学生の一日を寸劇で紹介した気がします。ちなみに、これが人生で久しぶりの劇でした。最初、初めてだと書こうとしましたが、よく考えると幼稚園のときに2本やっていました。あまり記憶にないので、実質初めてのようなものでしたが・・・

その後は、運動会でした。自分の委員会の仕事は、点数の記録係だったと思うので、委員長の自分はその監督と空きがでたときに代わりにやっていました。まあ、これはそこまで大変ではありませんでした。どちらかというと、生徒会として行った準備や片付けの方が大変だったのではと思っています。かなりざっくりしていますが、具体的な運動会の中身はそのうちエッセイで書くかもしれません。一応、少し言うとあまり現代っぽくなく、2年生のときまではフォークダンスをしていました。3年生の時は、ダンスというか踊りでしたけど・・・他は、100m走、障害物走、クラス対抗リレーなどを行っていました。あと、学年ごとに固定の競技もありましたが覚えていないので省略します。自分は運動が苦手なので、あまり活躍できた覚えはないです。障害物走に出たことは覚えています。

そして、次は文化祭でした。生徒会としてはオープニングに劇を行いました。当時は伝統だったけど、今はなくなっているようです。そこでは、自分は天の声というか体は出さずに、ラジオ番組に出るスター役でしたね。どんな劇だったかイマイチ覚えていませんが、確か私がスター役であるラジオ番組がうちの中学に取材に来て、学校の様子を放送するといったものを映像ではなく、ラジオも含め生で行いました。体育館内の放送室から話しましたが、さすがにこのときは緊張しました。他にも準備やリハーサルの裏方など様々な活動をしていたと思いますが、覚えていないので省略します。

そして、ざっくりですが、生徒会選挙をバックからサポートして次の委員長である元副委員長に引き継ぎの資料を渡して委員長及び生徒会の活動を終えました。そのあとは、高校の受験勉強なので、本題からそれるので省略します。無事に第一志望の公立高校に受かったことだけ書いておきます。

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以上、私の記憶を伝えるエッセイでした。では。

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