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【読書日記】ティンブクトゥ / ポール・オースター

2024年4月30日、ポール・オースターが亡くなった。享年77歳。
自分がもし「好きな作家は?」と聞かれたら間違いなく名前を上げるほど好きな作家で、まだ新作が読めるものと信じていた。明らかにオースター自身がモデルの登場人物が作品内によく出てくる(名前もそのままポール・オースターである場合すらある)上に、ひと一人の人生を色濃く描く作風であるために、親しい人物が亡くなってしまったような悲しさがあった。

しかも命日の翌日5月1日、自分はオースターの訃報を知らないまま偶然にもオースター原作の映画『SMOKE』を観ていた。普段映画を全く観ない自分が、「雨の日は周りが静かだから映画でも観ることにしよう」と新しい習慣を始め、その最初が『SMOKE』だった。まるでオースターの小説に出てきそうな偶然である。

『SMOKE』は原作を読んでいるが、映画も心に残る作品だった。

追悼の意味を込めて何かオースターの単行本を購入したいと思い、『闇の中の男』も購入して読んだ。この作品も主人公が元物書きの老人ということで、どこかオースターを重ねてしまう。眠れぬ夜に「9.11が起きなかったアメリカ」の物語を夢想する中で、自分の人生を振り返っていくという小説。
(しかし今思えば文庫版で同時収録されている『写字室の旅』の方がオースターの自伝的小説らしく、追悼として読むにはそっちの方がよかったかもしれない)

『闇の中の男』、装丁も美しい

『闇の中の男』も素晴らしい小説だったが、戦争に正面から向き合う重たい内容(もちろんその中にささやかな希望が描かれるのだが)で、感想をまとめ切れないので、今回はその後に読んだ『ティンブクトゥ』について感想を書きたい。

犬小説『ティンブクトゥ』。24/6/7に読了

この小説は「ミスター・ボーンズ」という犬が主人公で、犬の視点で物語が描かれていく内容。
飼い主のウィリーは以前はドラッグに溺れ、ドラッグを絶ったあとも酒に溺れ、病気で今にも死を目前とした状況。ウィリーは人間としてはろくでなしかもしれないが、ミスター・ボーンズを人と同じように扱い、相棒として接してくれたかけがえのない飼い主だった。飼い主の最期はミスター・ボーンズにとって世界の終わりと等しいものであり、これからどうやって生きていけばよいのか、ミスター・ボーンズの人生ならぬ犬生(いぬせい)が描かれる。

しかしこの小説は、訳者あとがきにも書かれている通り、主人公が犬であるというアイデアを奇抜な設定として主張することはない。それは小説の一要素にすぎず、主人公と相方がたまたま「犬」と「飼い主」だっただけだと感じさせる。
それはこの小説もまた、犬を人間と同等に扱っているからであり、他のオースター作品で主人公の視点を描く際と全く遜色ない筆致でミスター・ボーンズというキャラクターを描いているからだ。主人公の人柄(犬柄)を鋭く描写し、物語に没入させる手腕はさすがである。

ミスター・ボーンズは飼い主・ウィリーと死別したあと、様々な人間と出会い、新しい人生を始めようとする。ウィリーがろくでもない人間であったために、新しい飼い主候補となる人間たちは皆まっとうで、家も食べ物も裕福だが、やはり犬を犬として扱っているところがあり、ミスター・ボーンズとしてもうまく馴染むことができず何度もウィリーを夢に見てしまう。
人間の言葉を理解しつつも話すことはできないミスター・ボーンズが、夢の中ではウィリーと会話できるのがなんとも切ない。また、真っ当な人間や生活に馴染めないミスター・ボーンズには、人間の目線から見ても強く感情移入してしまう。

そしてこの物語の結末は残念ながらハッピー・エンドではない。訳者あとがきにも書かれているが、おそらく誰もがミスター・ボーンズが新しい相棒となる飼い主を見つけて、これからの人生(犬生)に希望を持てるラストを期待すると思う。しかし残念ながらそうならないのがオースター節というか、オースターらしい読後感といえるだろう。
この読後感ゆえに心に残る作品ともいえるが、どうしても動物たちには物語の中でも幸福になってほしいと思うため、結末を読むのは辛かった。人間はどんなにひどい目にあっても良いので動物たちは物語の中では幸せでいてほしいものだ。

表題の「ティンブクトゥ」とは、飼い主のウィリーが何度も聞かせてくれた死後の楽園のような場所のことである。
作者のポール・オースターも「ジャック」という名前の老犬を当時飼っていたらしいが、オースターも今頃ティンブクトゥでジャックと再会できていることを願う。


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