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【読書日記】薬指の標本 / 小川洋子

2023年1月16日 読了

小川洋子作品の中では『博士の愛した数式』と並んで代表作のイメージがあるが、小川洋子ファンを自称しながらなぜか今まで読んでこなかった一冊。

読むきっかけになったのは、以前から気になっていた「おひとりさま専用の喫茶店」に行ったこと。
10席ほどの喫茶店で、一つ一つの席に特徴があり置いてある本の種類も席によって異なる、とても素敵な場所だった。

自分がなんとなく腰を掛けた席が、まさに自分の好みの小説がたくさん並んでいるスペースで、目の前にたくさん置いてあった小川洋子作品の中から、そういえば読んだことないな、と思ってこの『薬指の標本』を手に取った。
ページ数が少ないこともあるが、この喫茶店の雰囲気が良すぎて一気に読書が進み、滞在時間3時間のうちにすべて読み終わってしまった。

素敵な喫茶店でした

内容はとても掴みどころがなく、わかりやすい展開もなく、こんな地味な作品が代表作なのも凄いなと思うところもあるが、小川洋子にしか描けない世界が短い話の中に詰まっている。

この小説のあらすじは、工場仕事の事故で薬指の先端が欠けてしまった主人公が、標本の製作室に転職するというもの。
その標本製作室では「何でも」標本にすることができ、有機物のみでなく無機物、さらには目に見えないもの(音楽など)すら標本にして管理することができる。
人々が物への執着を断ち切るためにこの制作室へ標本に残しにくる、という設定がまず面白い。

その中で描かれる静謐な空気感、潔癖さ、不気味さ、狂気、欠落感……小川洋子の描くこれらの感覚は本当に唯一無二で誰にも真似できないものだと改めて実感させられた。

特にこの小説は直接的なセックスの描写が無いにも関わらずとても性的だ。足首を掴んで革靴を履かせるシーン、欠けた薬指を咥えるシーンなど、直接的なセックス描写以上に官能的だと思った。
また、『ブラフマンの埋葬』などもそうだが作品全体にずっとまとわりつく「死の匂い」もこの作家独特のものだと思う。わかりやすい説明や直接的な描写は一切なく、この「感覚」を全体に漂わせる作風は自分にとって本当に理想的な文学表現で、自分の好きな小説の世界を改めて再認識させてくれた。

何よりも特筆したいのはこの作品のラストシーンだ。この小説は物語としては中途半端な終わり方をし、その後どうなるかも全く描かれていない。しかし、物語としては本来描かれるべきその後をあえて描かず、「主人公が後戻りできなくなるその瞬間」をラストに置いているのは本当にたまらない。
自分はエピローグで綺麗にまとめられるお話よりも、半端に終わる作品が好きだった。それは「物語のその後を想像させてくれるから」だと思っていたが、それ以上に「感覚的な頂点をラストシーンに持ってくる」のが好きなのだ、ということに初めて気付かされた。この作品においては「その後を想像する」のは野暮なことで(もちろん想像を膨らませるのも良いことだが)、作品内で描かれてきた”感覚”がピークに達した瞬間こそが物語の終着であるべきなのだ。

併せて収録された『六角形の小部屋』も、小川洋子にしてはわかりやすすぎるように感じてやや物足りなさもあったが、読みやすくて印象に残る作品だった。


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