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谷川俊太郎さん

ほぼ日の學校と谷川俊太郎さん

ほぼ日の學校で谷川俊太郎さんの授業を観てみたらとてもチャーミングでその人柄に惹かれた。
もう一歩歩み寄ってみたくなって、ひとまず本を買ってみた。

授業のなかで谷川さんご本人の詩の朗読を聞いていると、その言葉をどのようにとらえているかが感じ取れて心地よかった。

幸せについて

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自分でもよくわからないのだけれど、表紙の詩にぐっときた。
時間をおいて改めて読んでみたけれど、得られている幸せを実感できてぐっときたのだろうか。
理由はやっぱりわからない。

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表紙をめくると薄いみずいろの紙が綴じられていて、その紙を通して"幸せについて"という文字が薄っすら見えた。
そのとき"幸せ"とはあいまいで移ろいやすく実態のないもののような気がした。

その薄いみずいろの紙の裏側は意外や意外つるつるした質感だった。
「幸せは執着して掴み続けようとしたとたん、つるりとすべってどこかへ行ってしまうものなのかも…」なんてふと思ったりした。

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カバーを外すと、指先でやっと感じとれるほどの凹凸があって気持ちのよい手触りだった。

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1949年12月、18歳の時に書いた詩です。生きることが新鮮で驚きに満ちていた年頃でした。

詩のあとにそう解説が書かれていて、その文章でさらにこころがおどった。

好きなもののことは、私有しなくても見るだけ、聞くだけ、考えるだけで幸せになれる。これは他の生物にはない人間の幸せな特質ではないか。



好きノート

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7月の終わりに出産予定のともだちにあげたくて買った本。
子どもは左から、大人は右からページを開いていく。
そこには質問があったり、思いつきで自由に描けるページがあったり。

ともだちの上の子は今年小学生になったばかり。
そんな節目の思い出になったらいいな。
はたまた赤ちゃんへのやきもち解消のきっかけに…なったらいいな。

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時おりページの色が変化する。
視覚的にも楽しめて、めくっているだけなのに優しい気持ちになった。

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大人になっていくと何かしらの型にはまっていくから、子どものような自由な発想はいつの間にか手放してしまうものなのかもね。

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写真集のような

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デザイン集のような

型にはまらない楽しい本。


あけるな

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シンプルな絵本。
いろんな解釈ができそう。
そのときの自分の気持ちで受け取りかたも変わりそう。
子どもの頃に読んで、大人になってからまた読んだらおもしろそうだな。


自選 谷川俊太郎詩集

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 世間ではさほど評価をされていないが、自分では気に入っている作がある。反対にたとえば教科書に採用されたりしているが、自分ではどこか不満を感じている作もある。自選の場合でも、目は自分自身よりも読者のほうに向けているつもりだが、作者と読者のあいだに存在する編集者の冷静な目も、私にとってはなくてはならぬものだ。こうして振り返ってみると、書くのはひとりでも、それを世に出すには沢山の人たちの助けがあったことに改めて気づく。
 私は嵩高い詩集を好まないので、この文庫が読者の方々の気軽な座右の、あるいはまた旅先の読み物になってくれることを願っている。


まえがきより


山田馨さんによる解説の前半部分がまるで谷川俊太郎さんに向けての手紙のようだった。
ほぼ日の學校での谷川俊太郎さんは表向きの姿。解説のなかで語られたおふたりのエピソード。
そこでの谷川俊太郎さんは飾られた姿だけではなく、生きものらしい生々しさがあって少し身近に感じた。
そもそも私生活が赤裸々に書かれていて、ご本人がそれを了承したかと思うと改めて凄さを感じた。

解説を読んだあとに詩集「私」を読んだ。
目次でタイトルを目で追っていたら、それだけでこみあげるものがあった。
詩を読み始めたら涙が出てきて止まらなくなった。

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ふだん読みものをするときにときどき自分と重なって涙したりするのだが、今回は谷川俊太郎さんの気持ちの変化が伝わってきて泣けてしまった。
別れのあいつさつであり、自分を納得させる言葉のようであり、ひとつの儀式のような…いろんなものが混ざりあったような複雑な気持ちになった。

十二月

おかねでかえないものを わたしにください
てでさわれないものを わたしにください
めにみえないものを わたしにください
かみさま もしあなたがいらっしゃるなら
ほんとのきもちを わたしにください

どんなにそれが くるしくても
わたしがみんなと いきていけるように

この詩集は谷川俊太郎さんの自分史であり、山田馨さんの解説を読みながらそれぞれの年代の詩を追いかけていくと、まるでドキュメンタリーのような感覚さえしてくるものだった。

正解とは?

ほぼ日の學校のなかで教科書に採用されている詩の問題をやってみたエピソードがおもしろかった。
自分で書いた詩なのに30点だったそうで、その話を聞いてわたしは「解釈とは?」となって思わず笑ってしまった。
ちなみに谷川俊太郎さんのお友達の詩人のかたは、ご自身の詩の問題をやってみると0点だったそう。
「自分は30点とれたぞって言ったんだけどね。」と話してる姿がかわいらしかった。



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