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初めてのチネイザンといつもの官足法

今回は官足法の施術を30分くらいやってもらったあとに、はじめてのチネイザンの施術を受けました。

内臓と宇宙はフラクタル

チネイザンを体験したあとこちらのnote読んでみると官足法とのつながりも見えてきて、チネイザンの奥深さを少しだけ垣間見れた気がしました。

現実的な見える世界の滞りとつまり。
どこか宇宙的な見えない世界の滞りとつまり。
どちらも滞りとつまりが強くなってくると症状や病となって現れてくるのかもしれない。

逆に物理的に異物が身体に入ってきたときには、かためることでその毒性が全身に巡らないようにするのだから、改めてすごいシステムが備わっているなと思った。

内臓デトックスマッサージとは

「チネイザン(気内臓=Chi Nei Tsang)」とも呼ばれる(腹部)内臓デトックスマッサージは、タイと中国の伝統医学において、難解で奥深いマッサージ形態の一つとして知られ、タイ古式マッサージや、リフレクソロジー(反射両方)、心理学、レイキ、指圧、スウェディッシュマッサージなど、その他の療法を補完するものとされています。

体に不調が現れるとき、その根本原因はネガティブなエネルギーです。

不健康なネガティブなエネルギーが蓄積されてしまうと、他のシステムにも影響を及ぼして何らかの症状として現れます。そして、エネルギーがそもそもうまく流れないと、お腹の周辺にしこりやもつれが生じて、生命力の流れを阻害してしまう、というふうに考えられています。

人間はさまざまな感情に揺さぶられるけれど、この感情の流入量が多すぎて処理しきれないと、内臓によくないエネルギーが溜まって、あたかもそこはゴミ捨て場になってしまう。

ゴミ捨て場では、処理しきれなかった感情が腐敗して、お腹周辺に集まっている、神経系や血管、リンパ腺に、物理的にしこりやもつれを作ってしまいます。こうやってしこりができてしまうと、生命エネルギーの流れもだんだんブロックされてしまう。

感情と内臓との間にはある種のつながりや関連性があって、不快に感じる症状のほとんどは、溜め込んだ毒素や否定的な感情などのネガティブな力を、体内から解放することで癒やすことができるんですね。

さらにいえば、こうした未消化の感情を癒やし、ネガティブな感情をほぐしていくことで、エネルギーを良いものに変容させてリサイクルすることができる、というのが内臓デトックスマッサージです。

だから、マッサージセラピストが治してあげるというよりも、基本的にはクライアントのエネルギー変容をお手伝いすることで、クライアント本人が自然治癒力や免疫力をあげていくもの、というふうに私は理解しています。

内臓と宇宙はフラクタル

宇宙は、きちんとした階層にわかれた直線上の構造ではなく、互いにフラクタル(自己相似パターン)で相関していると言われていますよね。

からだのリズムは月の満ち欠けといった月のリズムのフラクタルと言えるし、天体の運行と人の生など、占星術で見られる関係も一種のフラクタルと言えるんじゃないかと思います。

タイと中国の伝統医学において、人体の内臓臓器というのは五行と密接につながって、ミクロコスモスである人体と、マクロコスモスとしての森羅万象とをつなぐ機能があり、霊的なエッセンスが含まれているというふうに考えられているので、この内臓というのも、フラクタルなものといえますね。

実際のマッサージの不思議

冒頭でも述べましたが、お腹は背中よりもデリケートなので、仰向けになってお腹を出してもらってマッサージをはじめるとき、たいていのクライアント、特に、初めて内臓マッサージを受ける方の場合は緊張しています。

お腹を触るとその緊張がとても伝わってきます。

でも、いわゆるSun and Moonのテクニック(陰陽を描くような動き)でゆっくりと腹部をマッサージしはじめると、徐々にその緊張がほぐれ、内臓と私との信頼関係が作られはじめて、内臓からなんとなく「あなたにオープンになります」と聞こえてくる感じがあります。


チネイザン初体験の記録

内臓を触れられのが不安に感じこわさもあったのだけれど、そのときに犬や猫がお腹を私の方に向けて寝転ぶ姿が浮かんだ。
猫や犬が全てを委ねて寝転んでいるとき、そこには不安も恐怖もなくゆったりしている。
委ねられる強さでもあるなと思った。

施術が始まると不安とこわさがあったはずなのに、なぜか可笑しさ(愉快という意味合い)が込み上げてきてにんまりとして顔が緩んでしまった。

書いていて思ったのだけれど、歯科の局所麻酔の注射のときと似ている。
わたしは数年前から歯科で麻酔の注射をすると高揚感が起こり、こわいのに楽しくなるという不思議な感覚を毎度体験しているのだが、それと同じ種類のような気がした。


内臓と宇宙

ヒトの胎児は「受胎から30日を過ぎてわずか1週間で、1億年を費やした脊椎動物の上陸誌を夢のごとくに再現する」という言葉を三木先生は残しています。

受胎32日目の顔には魚の面影があり、エラ孔の列があって、手はヒレの形をしている。34日目になると両生類のカエルの顔に、36日目に爬虫類の面影になる。心臓には隔壁ができ、つまり空気呼吸の準備が整った「上陸」の再現ですね。

体が水中仕様から陸上仕様になるという生命進化上の劇的変化に必死で対応し耐える苦闘が、ちょうどその時期、つわりとなって母体に表れる
。そして38日目にようやく哺乳類の顔になる。

先ほど、血液という形で本来海の中にあった何かを体内に持ち込んだという話をしました。実際に母胎の中にマイクを入れて音を拾うと、血管を流れる血の音がまさに波の音に近いんです。ザーッと寄せてヒューッと引いていく。


心と内臓と宇宙

2014.08.27
心と内臓と宇宙

 近年、人の心と内臟との関わりについて、従来と逆の考え方が提唱されてきているようだ。ストレスなどの心因的要素が心臓や腸などに影響を与えるというのが従来の説だが、近年は逆に、内臓、特に腸の神経系が情動感覚を形成するという説が出されたりして、内臓脳というような言葉も出てきているようだ。しかし、このような説を述べる一般書の中には、髙名な著者によって書かれ、名のある出版社から出されたものでも相当なトンデモ本があるから要注意である。

 そのような中で、福土審(ふくど・しん)著の『内臓感覚―脳と腸の不思議な関係』(NHKブックス)は、著者が過敏性腸症候群を中心とする心療内科の研究者で、豊富な臨床例から脳と腸の関係について述べているので大変興味深い。その書で「われわれの体では、まず腸が発生し、後に脳が発生したことをよく理解しておく必要がある。腸の神経が脳に似ているのではない。腸の神経に脳が似ているのだ。」と言い切って、腸の感覚が情動の形成に影響しているのだとする。これはまさに今までの説と逆である。マルクスではないが、「下部構造が上部構造を規定する」ようなものだ。

 このような考え方の魁けをなすのは、日本では少し前の解剖学者三木成夫(しげお)博士(一九二五‐一九八七)ではないだろうか。東大医学部解剖学教室の出身で、養老孟司氏のちょうど一回り先輩である。東京医科歯科大を経て、東京芸大教授を務めた。『内臓とこころ』『胎児の世界』『生命とリズム』『海・呼吸・古代形象』などの著作があるが、『内臓とこころ』の中で、赤ん坊の、膀胱感覚、口腔感覚、胃袋感覚などの形成について述べ、そして「こころ」とは「内臓」を抜きにしては考えることができないと言っている。身心が相関していることは誰でも経験上承知しているが、内臓の状態が心に影響するというのはやはり耳新しい。

 三木博士は同著でさらに、「食」と「性」とを営む内臓はそれ自体で小宇宙であり、宇宙のメカニズムが三十億年の生物の始まりから宿されていたといい、その小宇宙は大宇宙と共振し、その小宇宙の波を「内臓波動」と呼ぶと言っている。内臓の働きが天体宇宙のリズムと共振するという、まことにスケールの大きな説になっている。

 そのリズムということについて、『海・呼吸・古代形象』では興味深いことが述べられている。それは海と呼吸のリズムとの関係なのだが、人間も含めて、呼吸中枢である延髄を持つ動物は、必ず十六秒のリズムを持っているという。その他に二十五秒のリズムもあるが、これは臨終の時のいびきの周期であるとか。それはともかく、この十六秒周期のリズムは海の波打のリズムと関係があるというのだ。波打のリズムは八秒、十二秒周期が基本になっているという。それに音楽では四小節八秒、八小節十六秒というのは作曲の基本原則で、ロックは八ビート、十六ビートが基本になっているという。

 さらにまた、人間の睡眠と覚醒の周期は二十五時間で、昼夜の周期は二十四時間だから一時間ずれる。この一時間のずれに適応できないと、睡眠不調に陥るという。これは人間が地球と月の関係によって生ずる潮汐リズムに支配されているからであるという。

 このような人間を含む動物の呼吸リズムと海の波打のリズムとの間の深い関係、睡眠と覚醒の周期が地球と月という天体に作用されているということは、動物も自身の内に小宇宙を抱えて大宇宙の中に生きているからだという。このことには深い感銘を覚えた。我々の生が個々のはかない生命を生きているだけでなく、同時に宇宙の大いなる生命を生きているのだと実感されたからである。我々の心が内臟に直結し、その内臟も宇宙に繋がっている。なんという壮大な構図であろう。

住職 藤井 教公


内臓とこころ

「内臓は小宇宙」の項を読んで驚いてしまった。
内在している宇宙を感じられなくなったわたしたち現代人は自ら自閉的な暮らしを営んでしまっているということがショックに近い驚きだった。

人間というのは、どうも、自然を"あるがままにしておく"ということに耐えられない性分のようですね。

「うわっ!すぐに買って読まなくちゃ!」となった。


胎児の世界と命の波 三木成夫 講演⑴




行ったり来たりが流れの基本形


どんな出来事もどんな感情も思考の判断を入れずにただ流れていけるのが理想なんだろうなと思った。

川の流れのように。

今はどんな流れになっているだろう。

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