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学び方と生き方


学びの違い

主体性の学びとは無縁の学生生活だったが、今は学ぶことが楽しい。
世の中には無限に知らないことがある。
それを少しずつ知っていくことがおもしろい。

分化人類学や社会学など学問の名前を聞くことがふえて、どれがどのグループに属するものなのかも知らないので自分のなかでごちゃごちゃになっていた。
せっかくなので整理してみることにした。

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わたしの興味は人文科学の中に属していることが分かった。

『人文科学』
・哲学    ・論理学
・倫理学   ・宗教学
・歴史学   ・考古学
・人文地理学 ・美学


人文科学の中に、「美学」という学問を見つけて「何それ?!」と気になったのだけれど、好奇心のままに広げ過ぎると収拾がつかなくなりそうなので今回はあきらめることにした。

コテンラジオを聴いて知ったこと。

・現状を見て、そこから考える
  先入観を持たずにジャッジもせず、そのままありのままを捉えること

・文化を理解する

  同じ人種であったとしても、相手のもっているものをひとつの文化として捉えること

・人間の脳は物語とフレンドリー

  人間の脳は神話と親和性が高い
  いろいろなものに物語を見いだす
 (高校球児の苦難を乗り越えるエピソードなど)
  人間は物語の中で生きるのが自然なのでは?

・相手ともめるているのは自然である

  相手を理解することは相手を手玉にとれるということでもあり、それはリスクでもある


教訓…学びとは与えれれるものではなくて、求めにいくもの


真の人…何のために生きるのか

セデック・バレという映画を観た。

『セデック・バレ』とは“真の人”を意味するセデック語。
これは死を覚悟しながら、それぞれが信じるもののため戦った者たちの命の尊厳を問う物語。

セデック族の生き方はシンプルだ。
男性は先祖から受け継がれた狩場の中で狩りをする。
先祖から受け継がれた狩場を守り、敵対しているタイヤル族の首を刎ねること。
首を狩ることで ”真の人” と認められ、一人前になった証となる。
女性は布を織ることができるようになることで真の人だと認められる。
それは顔に入れられた入れ墨で一目でわかる。

最初は、楽し気に首を狩ることや、生き物の血を水を飲むかのように飲む姿に違和感を覚えた。
しかし、彼らにとって首を狩ることは神聖な儀式であり、血は捧げ物でもある。

「火を絶やさぬように」
首を狩りに行く夫が妻に残した言葉が印象的だった。
火に限らず絶やしてしまうことというのは簡単だが、絶やさずにいることは難しい。
どれだけ先手を打とうとも不測の事態は起こるのだ。

女性たちが歌う歌の歌詞は儚げである。
女性たちの声は男性たちに届かない。
どれだけ案じても彼らの行動を変えることはできない。
そんな想いが歌に込められていて、せつない気持ちになった。
そんな女性たちの男性たちを思うが故の行動は勇ましささえ感じた。

「人は死んでも、魂は滅びない」と固く信じ、ガヤ(文化と社会の規範)は言葉や歌によって代々受け継がれていた。
動物を狩っている姿や歓喜の声は動物的で、とてものびやかで自然な姿に思えた。
私たちの今の生活は、便利さと引き換えに「生きる」ということからは遠のいてしまっているのかもしれない。
生きることは死がいつも隣り合わせで、だからこそ生きる喜びがある。
安全であることは、生きる喜びを失うことでもあるのかも。


前回の風の時代は

今は風の時代だと言われている。
ふと、前回の風の時代のときにはどのような時代だったのだろう?と気になった。
ためしにググってみたら、ブログに書いてる人がいた。



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