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子育てに絶望してわたしは何をみつけたのだろう?

子育ては最高の体験であり、そしてまた最高につらいものでもある。

充分な睡眠と有り余る元気があるときはいいのだが
実際は疲れ果てて
一日が長く
また一瞬で消えてしまうことに落胆し
ユーモアをもつ余裕もないことが
多いのではないだろうか。

0歳から4歳になるまでの間が成長著しくかわいい盛りであり
親にとっては大変な時期でもある。

子育ては…
・正解がない
・孤独である
・終わりが見えない
・命の重さが堪える
・比較されること
・自ら比較してしまうこと
・休みがない

弱音をはく場が少ないことや
やっとはきだせたとしても
正論やマウントをとられることで
いとも簡単に
勇気がくじかれてしまう。

長男が離乳食を食べていたころ
わたしは悩んでいた。
毎食後、「もっとたべたい!!」
と癇癪をおこす息子をまえに途方にくれる。
それでも、泣きながら怒り頭をテーブルや床に
ゴンゴンと打ちつける。
体重が基準値をいつも超えていて
乳児のころからいくらでも飲み
すでに朝青龍のような体形だったため
親としては健康のためにと食事量を一定にしていたのだが
毎食後おきる癇癪に
なんだか責められているような気がして
息子の健康のためなのに
悪者になった気分だった。

定期的に集まっていたママ友に話してみたことがある。

「食べてくれるだけいいよ~!」
正直この言葉には
崖から突き落とされた気分になった。
食が細い子のママに話したことがそもそもの間違いなのだが、
それさえも判断できないくらい悩んでいたのだと思う。
母親業というものは
するのが当たり前で、労われることの方がまれである。
そのためか、母親同士は「自分がいかに大変か」の
マウント取り合戦になりやすい。
そんな場面に出くわすたびに
「大変だね~。がんばっているね!」
お互いに認め合うことができないものかと思うのだ。
誰が一番大変かなどという「謎の称号」を得るよりも
「みんな大変だね」「がんばっているね」と
声をかけあえた方が
お互いに満たされるのではないだろうか。

初めての反抗期

2~3歳になるころ第一次反抗期がやってくる。
「2歳のいやいや期」が注目されやすいが
長男は3歳のときがきつかった。
なにがきつかったのか
思い出そうと思っても思い出せないのだが
「一緒にいたくない」と思っていたことはよく覚えている。
同時に危機感も強くおぼえて
息子が満3歳児で幼稚園に入園していたこともあって
外に悩みを解決する手立てがないか探し始めた。


アドラー心理学と出会う

アドラー心理学を活用した子育て講座をみつけて
受講することにした。
わたしの他に3名の受講者がいて
子どもの年齢も近く
そして全員が自営業だった。
講座が始まって思ったことは
居心地のよさだった。
そこには否定もマウントもなくて
正解も不正解もない。
現実やそのつらさ
見過ごされてしまっている幸せに気づき
ただひたすらに学び、実践していく場だった。

講師の方自身も母親であり
お互いに学ぶ場だと言っていのが印象的だった。

まさに勇気づけの場での学びは、
子どもと会うことが楽しみになるという魔法をかけてくれた。
そして、未来をみてより良くしようという仲間の存在は
不安で心細かったわたしには大きな支えになった。
講座が終わってからも定期的にあつまり
それぞれが取り組んでいることを話したりした。
そこには愚痴や後悔のことばはなくて
みんなまっすぐ先を見据えていた。

ところが、あんなに居心地がよかったはずなのに
途中からわたしは距離をとってしまうようになった。
みんなのペースについていけないという思いと
物理的な距離(住んでいる場所がわたしだけ離れていて
車で一時間半ほどかかる)に負けてしまった。

あれから会うことも連絡をとることもなくなったけれど
今でもその時の勇気づけのメッセージが心にしみて泣けてくる。
あのときに出会えたことが本当にうれしい。 

わたしに贈られた勇気づけのメッセージをひとつだけ紹介しようと思う。

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たぶん勇気づけは「あなたはすでに素敵だよ」と
そのままの自分を全力で肯定してくれるものなのだと思う。
受け止めてもらえると、現実が変わらなかったとしても
心が軽くなり自然と前を向いて歩いけるのだ。


子供にも丁寧に説明すること

子どもが物心つきはじめたころからやっていたことがある。
何かの本に書いてあって取り入れたのだと思うが
それも覚えていないのだが…

・子どもが話すことができない年齢でも
出かけるときにはどこへ行き、どんなことをするのか事前に説明すること
・どんなことをしたらダメか説明し「ルールを守れないときは
すぐに家に帰る」と伝え徹底すること
(子どもがどんなに泣きわめこうが、人からどんなに鬼ばばに見えようが、覚悟をきめてきっぱり平然と)
・なにかするときは話し合いをして意見を聞くこと、伝わるように話すこと


あべまさいさんの「子育てコーチングの教科書」という本がすきで
今でも手放さず手元に置いている。
この本の中で気に入っているところをいくつか紹介しようと思う。

話を聞いてくれと言うと
あなたは忠告を始める
私はそんなことは頼んでいない

話を聞いてくれと言うと
そんなふうに考えるものじゃないとあなたは言う
あなたは私の心を踏みにじる

話を聞いてくれと言うと
私の代わりに問題を解決してくれようとする
私が求めているのはそんなことではない

聞いてください!私が求めているのはそれだけだ
何も言わなくてもいい、何もしてくれなくていい
ただ私の話を聞くだけでいい
(作者不詳)

先達コーチの教えより
誰かの話を聞いているだけで楽しいと感じられる。
それが本気で「聞くこと」を試した人へのごほうびです。

相手のことを知りたいと思うなら
肯定も否定もいらくて
無理にキャッチする必要も打ち返す必要もない。
ただ相手から紡がれていく言葉を
そっと眺めていたらいいのかもしれない。

そのとき、母は自分の時間を私たちに差し出してくれていました。差し出す、なんて意識もせず、ただ夢中で。
 子どもは、そういう機会をたくさん与えてくれます。今ここで何を選ぶのか、何に価値を置くのかを親に問うてきます。その問いに答えながら、ときには何かにこだわり、ときには何かをあきらめ、気がついたら自分の心が耕され、固い土が少々のことならなんでも吸い込むやわらかい土へと変わっていくのかもしれません。
 私は自分が子どものコーチのように感じていたのですが、私に問い続け、心を耕し続けてくれているのは、ちはるです。ちはるが私のコーチ、なのでした。

わたしのとなりの小さなコーチに
あなたの隣の小さなコーチに


今日もあなたの中にある安らぎと幸福感に気づけますように♪



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