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今日の山田君 〜思うこと〜 46

線を引く、切り離す

4月になってあれこれ考えていた。
どんなことに注目して、どんなことを捨てるのか。
そうしているうちに自分が大切にしたいことに変化が起きた。

たくさんのものを抱えておけないし、抱えているとその重さでつぶれてしまう。
だから何かの節目には、抱えておくものとそうでないものを線引きしている。
線引きすると自分でも驚くほどスッキリする。


たくさんの貨物を連結させていると、それまでは何てことなく走らせてきたのにある日突然、その重さが苦痛に感じるようになる。
そういったときには節目にあわせて何車両目で連結を解除するか考える。
連結を解除し切り離すことで軽快に進んでいくことができる。
だから節目は好きだし、線引きができる終わりも始まりも好きなもののひとつだ。


HSS型HSPという自分にさよならをする

ちょっと弱っていたときに大変お世話になった。
HSPという気質を知ることで、自分や家族を理解し考え直すいいきっかけになった。
向き合うのに苦しくなることもあったけれど、それ以上に理解できないものが少しだけ理解できるようになることが自分には大きな変化だったように思う。

HSP関連の記事を読んでいて違和感をもつことがどきどきあった。
なぜならHSPであることやその人たちを守ったりするような言動は、HSPではない人たちとの境界線になり対立構造になりやすい気がしたからだ。

人との違いを知るためのものが対立や摩擦を生むためのものになってしまうことは、わたしにとっては苦痛である。

そんなふうに思ったということは、HSS型HSPというそれまでの自分と線を引くときがきたということなのかもしれないなと思った。

たくさんお世話になったHSS型HSPという自分に感謝しつつ線を引く。
それをまたいでちがう自分に出会いに行く。
人との別れもこのようなスタンスをとっているような気がする。
「今までありがとう。ご縁があればそのときはまたよろしくね。」といったように。

自分の望まない別れであるときには、楽しい時間が過ごせたことを思い出し「元気で過ごしてるといいな。」と心のなかで思う。

人が亡くなったときにも、楽しかった記憶を引っ張りだして現実を前向きに捉えるのだけれど、亡くなった人の冷たい身体に触れたり、哀しみにくれている人を見るとそれがどうもうまくいかなくなる。
一緒にずーんとなりやすい。

ずーんと落ちてしまうと上がってくるのはなかなか大変な作業なので、なるべく落ちないようにと無意識にやっているのかもしれない。

HSS型HSPという自分にはさよならすることを決めたけれど、ちびまる子ちゃんの山田君はHSS型HSPでは?と思ったことから書き始めた「今日の山田君」は続けていこうと思う。

山田君を想像すると楽しい気持ちになるし、タイトルを決めずに書き始める「今日の山田君」は書きやすく、気持ちの整理にもなるから。

今回のこのnoteがHSS型HSPである自分とのお別れの儀であり、それをここで閉めたいと思います。

ありがとうございました♪



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