夏休みの思い出

 夕方の公園で、蟻が動くのを見ている。

 夏休みも終わりに近づいた8月のある日、私は下宿先のアパートから自転車で10分程度の所にある公園にいて、小学生の女の子と一緒に蟻を観察していた。その日は曇りで、風は少し冷たく、夏の終わりを感じる気候であった。
「見て、すごい、アリがアリを運んでる。」
女の子が指さす先には、動かない蟻を運ぶ蟻がいた。
「こっち、死んでるみたい。お墓に運んでるのかな。」
しゃがみこんでいる女の子は、顔をぐっと地面に近づけて、蟻の動きを目で追いながら言った。
「かもねぇ」
私は、間延びした口調でそう返しながら、小学生の感性に感激していた。純粋無垢な少女を前にすると「死んだ個体は、食べられたりするのかな。」などと考えていた自分が酷く薄汚れた存在に感じられる。
「見て、お墓ほってあげた。」
女の子が指さす先に、蟻の墓にしてはかなり大きな穴が掘られていた。
「いいねぇ、豪勢なお墓だねぇ。」
蟻にとってのその墓は、多分人間にとっての仁徳天皇陵やクフ王のピラミッド、始皇帝陵ぐらいの規模だろう。一介の働き蟻が、最大規模の墓に埋葬される。私はもう一度、
「いいねぇ」
とつぶやいた。一介の女子大学生の私も、今死んだら大きな墓にたくさんの副葬品とともに埋葬されたい。副葬品は中高生のころに狂ったように集めたバンドのCDやグッズに、お気に入りの美術展図録、好きな動物の図鑑、それから本棚にいっぱいの本と漫画、あとは推しのアクスタと缶バッジとキーホルダー。普段はドカンとソファに置いてあるのに、人が来る時にはクローゼットの奥に隠す推しのクッション。あれは棺の中に入れてもらって、抱きしめる形で埋葬して欲しい。最後に、CDプレイヤーの電池が切れるまででいいので、何かハッピーな音楽を墓の中で流し続けて欲しいな。死んだら聴こえないけれど。何が流れてたら、いい感じだろう。
 などと考えて、ああ、今の日本じゃ火葬が主流だから、クッションを抱きしめることは出来ないなぁなどと思ったところで、女の子が勢いよく立ち上がった。
「今日ねぇ、お父さんが誕生日だからね、帰ったらケーキ食べるんだ」
女の子は私を見下ろしながら、弾んだ声で言った。
「いいねぇ」
私は、さっきまでの「いいねぇ」よりワントーン高い声で言った。羨ましいとか、懐かしいとかではなく、本当にただただ、いいな、と思った。

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