記録を記憶に結びつける
今から4年前、高校3年生の初夏。
今、自分がいわゆる青春の真っ只中にいるということ、
そして、その「青春」の終わりが自分にもきちんと用意されていること。
この2つをはっきりと自覚した私は、
大人になった私が振り返ることを想定して、全く後悔することのない最後の1年を過ごした。
夏休み。
講義の終わりに友人たちと教室に残って勉強した。
飽きればおしゃべりをして、黒板に絵を描いて、お菓子を食べて、校庭を眺めた。そこにはもちろん、あのとき、ちょっと憧れていたあの人もいた。
いつの間にかあたりは紅葉していて、あっという間にセーターを着る季節が来ていた。
寒い、寒いと言いながら駅のホームで単語帳をめくっていた。
塾の指導に納得がいかなくなった友人たちと、えいやと塾をやめ、
皆で放課後に集まって勉強した。
普段厳しい先生がコーヒーを差し入れしてくれたりして。
そんなことだけで、ちょっとその先生のことが好きになっちゃたりして。
みんなでくすくす笑ってた。
4年後、春。
大学4年生の、春。
最後の一年をどんなふうに過ごそうかという希望でいくつもの風船をパンパンに膨らめて遊んでいたような春だった。
そこに、感染症。
海外旅行がダメになった。
帰省ができなくなった。
バイトが休みになった。
学校へ行けなくなった。
そして、部屋から出られなくなった。
あまりに突然だった。
何も、何も準備していなかった。
こんなことになるとわかっていたら、私もっと後悔しない選択をしていたはずだった。
高校生の頃の私が、あそこまでちゃんと「終わり」と向き合うことができたのは、「終わり」が見えていたからだ。
突然に「終わり」を告げられた私は、あまりに無力だった。
実家に帰って来た。
この先のことはわからないけれど、わからないことばかりだけれど、
もし、もうあの街に戻ることがないとしたら?
もし、もうあの喫茶店にいくことがないとしたら?
もし、もうあの人に会うことがないとしたら?
私たちが信じて疑わなかった「いつも」は
なんて脆いものだったんでしょう。
悲しい。
悲しむことは、尽きない。
でも、変わらなきゃ。
変わらなきゃ生きていけない。
変化できなかった生物に残された道は、ただ1つ、滅びなんだもの。
私たちは、強い。
ある場面では無力で、とても脆いけど、だけど強い。
今まで数々の外圧と戦って、折れて、受け入れて、共存して、発展させて来た。
渡来人が来たし仏教も来た。
海賊が来たし黒船も来た。
西洋文化が来て、戦争には負けた。
そして、大きな震災になんども遭った。
だけど、私たちはこうしてちゃんと生きている。
それは、変化できたからでしょう。
変われるから、私たちは。
なんだか、スケールの大きい話になってしまったけれど
私は、少なくとも私は、つよく生きるよ。
つよくあることは、何よりも大切だよ。
どんな感情にも耐えうる、つよさが大切。
ここまで読んでくれた人、ありがとうございます。
これ、全部自分に言い聞かせるために、そして、数年後自分が振り返った時に、記憶ときちんと結びつけるために、書いています。
ここまで1200字くらいありました。
もう、今日のところはゆっくりお風呂でも入って
寝ちまいましょう。
ちなみに
寝る前のあたたかい牛乳は、
この世で一番おいしい飲み物です。
私の作った映画。
https://www.youtube.com/watch?v=_1II0-daGpM
私の撮った写真。
https://www.instagram.com/suttenten99
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