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ノイキャン中に死んだら嫌だ
ノイズキャンセリング中に死にたくはないなと思った。数年前に無理して買ったこのAirPods Proのノイキャンは凄い。
ノイキャン中に、例えば隣にいた得体の知れないやつが突然発砲してきたとして、倒れたおれはノイキャンしているわけだ。
ノイキャンしてたらその銃声すら曇って聞こえるだろう。もしそのまま死んでしまったら、おれが最期に聞くこの世の音は、優れたノイキャン機能によってさっぱり遮断されているんだろう。
自分の荒い呼吸すらまともに聞こえないわけだ。瀕死の眼に、数々の走馬灯が分け隔てなく流れているその合間に、その最期の時に、現世の音を聞くことができないなんて、さぞ悲しいことだろう。
悲しい理由はまだある。
普段おれがノイキャン機能を使うタイミングといえば、人混みのやかましさに耳を塞ぎたい時だとか、嫌な音に拒否反応を起こした時だとか、とにかく嫌な場面ばかりである。だからノイキャンをオンにした時のあのボッとした静寂には、自ずと苛立った感情が紐付いてしまっている気がする。最期にそんな心境でいるのは嫌だ。
もし何かの曲を聴いていたとすればなおさら嫌だ。それがアゲアゲの曲だったらもっと嫌だ。雑踏への無言の怒りを爆音で誤魔化している合間に死んでしまうとは情けない。
ポッドキャストやラジオを聴いていたならば、おれはそのDJの声なんかではなくて、母の声を聞きたかったと悔やむだろう。
そんなことを思い、ノイキャンを少し恐れた。
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