堕落論|坂口安吾
戦後、軍部は未亡人を題材とする小説の執筆を禁じた。赤穂四十七士は英雄的な活躍の後に皆切腹を命じられた。武士道の時代、主君を討たれた人間は仇討ちを責務とした。日本の終戦は天皇の号令によるものであった。
坂口安吾は日本におけるこのような事象を挙げ、そしてここから日本人の性質を逆説的に提示した。すなわち我々は「権謀術数の民」である。
これらの反自然的な掟は、むしろ禁じられるところの”堕落”した性質、フシダラでどうしようもない元々の性質を如実に示している。美しいものは美しいままで終わらせたいのだ。しかし一方で顕なのは、そんなものは普段あり得ないという自覚である。大義名分に殉じるという崇高なモットーは、そうでもしないと敵とも仲良くなってしまうという私たちの”人聞きの悪い”性格を押さえつけている。すなわち我々は、自分の性質からできるだけ自分を遠ざけようとする権謀術数の民なのである。「堕落論」は、日本人のこのような大義名分的な取り繕いを指摘して、それを一旦止さないかと説く。
「人間」と安吾の書く通り、人間一般の性質がこのようである。マリアは処女のままであった。そして人間は決して”堕ちきる”ことはできない。いつしか自然に、自尊心からその堕落を制御しようとしてしまうに違いない。その意味で反自然的な掟は、もっとも自然の、人間らしい掟である。
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