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情熱の仏、阿弥陀仏①:南無阿弥陀仏とは?

南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)という言葉(念仏)は聞いたことがある方が多いと思います。浄土系?の宗派ですと大抵口に出すのではないでしょうか。ドラマ、アニメ、漫画などでもよく出てきます。比較的最近の漫画でいえば鬼滅の刃でしょうか。有名なアニメですと、となりのトトロとか。

では、そもそも「南無阿弥陀仏」というのはどういう意味なんでしょう。「南」や「無」という漢字が使われていますが、これらの漢字に意味はありません。なぜなら、サンスクリット語の音を漢字にしている(音写)だけだからです。それでは、南無阿弥陀仏を分解してみましょう。

南無 阿弥陀仏

このように2つの部分に分けることができます。「阿弥陀仏」は仏の名前ですから、「南無」さえ分かれば全体の意味がわかりそうです。では、「南無」とは?

元々の言葉は「नम्(ナム)」で、以下の意味があります。

1. To bow to, make obeisance to, salute (as a mark of respect)
2. To submit or subject oneself, bow down

梵英辞典V.S.アプテ編〔改訂増補版〕
  1. 頭を下げる、敬礼する、会釈する(敬意の印として)

  2. 従うまたは服従する、屈服する

その他、曲げる/曲がっているといった意味もあります(元々はこちらの意味だったのかもしれませんね)。ちなみに、現代のヒンディー語の挨拶は「ナマステー(नमस्ते)」ですが、名詞の「ナマス( नमस्):挨拶」が使われています。
この意味をとって「南無阿弥陀仏」を直訳すれば「(私は)阿弥陀仏に従います」になります。

さらに他の「南無」の解釈を見ていきましょう。

南無阿弥陀仏の六字を善導釈していわく
南無というは帰命なり。
(中略)
それ帰命というは、すなわちたすけたまえともうすこころなり。

御文五帖目十三「六字名号・無上甚深」、蓮如上人

蓮如上人の説明のうちわかりやすいものを挙げると、まず善導大師(善導 - Wikipedia)の解説を引き、「南無は帰命という意味である」そして「帰命は『たすけたまえ』というこころである」と述べています。元々の「従う」という意味に加えて「頼る」という側面が強調されています。

細かい定義を探り出すとキリがないのでこれくらいにすると「(私は)阿弥陀仏に従い、頼ります」というのがおおよその意味になるかと思います。
さて、ここからが本題です。

従い、頼る相手のことを知らないでいいのか?

念仏者は「南無阿弥陀仏」「なまんだぶつ」「なまんだぶ」と口にするわけですが、上記のとおり阿弥陀仏に従い、頼るということを表明しているわけです。そのように従い、頼る相手のことを私はどれくらい知っているのだろうか。知らないでいいのだろうか。いや、知らないということがありえるのだろうか。これは阿弥陀仏という仏について知る必要があるな・・・というのが今回の出発点です。

阿弥陀仏の具体的な行動というよりも、経典に描かれている「想い」に焦点を当て、そのような「想い」が言葉として表されている偈文(げもん:韻文・詩句)を中心に見ていきたいと思います。

ちなみに、上で「知らないということがありえるのだろうか」と書きました。「偈文をよく見てみよう」と取り組み始めたときはそのような思いでいたのですが、後でよくよく考えてみると、性格やしくみをよく知らずに私が頼っている相手(人・制度)はたくさん存在するじゃないか、ということに気が付きました。

次回は「嘆仏偈」の内容を詳しく見ていきます。


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