一生ものとは結果である
「一生もの」という言葉が好きです。その製品が長きに渡り人々に評価され、愛され続けるグッドプロダクツであることに加え、なによりタフで作りが精巧な証でもある。どうも男はこういうモノに弱く、なかでも僕は特にダメ。カメラやレンズ、服に靴などなど...メディアで紹介される一生ものが気になって仕方ない人生を送ってきました。
ですが先日、YouTubeでこんな動画に出会いました。
最近好きでよく見ている時計関係のチャンネルです。この回で語られるのは一生ものの時計について。
もちろんここでの主張は「あの時計が一生ものである」といったものではありません。真逆です。「一生ものの時計なんて探すのは無駄。好きで買った時計を使っていたらいつのまにか一生ものと呼べるほどの時間が経っていた。それこそ一生もの」ということです。
一生ものは結果でしかない
冒頭で述べた通り、僕は一生ものという言葉が好きです。特にカメラについては一生ものと呼ばれるようなモノをいくつか手に入れてきました。
情けないことに、ここに写るすべての機材が今はもう手元にありません。これらは精度や丈夫さでは間違いなく一生ものです。これでしか味わえない満足感や操作フィールもあって、メンテナンスしながら一生に近い時間使ったという人も少なくないはず。
一方でカメラも道具である以上、使い手との相性問題は避けられない。そこがマッチしないと一生愛用するようなモノにはなりえないということです。
結局、カメラについては先日noteで紹介したEOS Kissが一生ものになってしまいそうな予感がしています。2000円で買った入門一眼レフのEOSなのに...
機械式じゃないのでこのカメラは壊れたらもうおしまい。そういう意味では一生ものではないかもしれません。でも、自分との相性で言えばこのEOS Kissは一生使っていきたいほどのカメラなんです。
時計を買いました
そんなことを考えながら、少し前に時計を買いました。それなりに検討して買ったので一生ものになってほしいなと願っています。願ってはいますが、過度に期待はしないようにもしています。こういうときは自分自身が一番信用ならなくて、「一生ものにするぞ!」なんて意気込めば意気込むほどに変な期待が膨らんでしまうから。毎日のように使い、気付いたら長い時間が経っているのが理想ですね。
そして時計といえば、一生ものになっちゃいそうなアイテムをすでに持っていることにも気付きました。
それがこのG-SHOCK。いつ、どういう経緯で買ったのかすら忘れてしまいました。
型番を調べてみたら2005年2月の発売。これを昔はファッションとして毎日付けていて、今はスポーツのときや海外に行くときに使っています。文字通りタフで、電池交換も時刻合わせもないままにここまできました。
いつから使っているのかと思い、着用している写真を探したら2007年まで遡ることになりました。
写真はロサンゼルスにあるドジャースタジアムにて。野球のメジャーリーグ、ロサンゼルス・ドジャースの本拠地で球場スタッフに撮ってもらったものです(このとき穿いていたLevi's 501 Big Eも懐かしい...!これも一生ものにはなりえなかった...)
2007年の僕は大学生で、一人旅ばかりしていたので旅行用に買ったのかな。このモデルの発売直後くらいに買ってたのかもです。
それからもう13年、なんだかんだと使っています。特別な愛着もないままでしたが、相性でみればこのG-SHOCKこそ自分の一生ものと呼べるのかもしれません。電池がヘタってバックライトがつかないので近々電池交換でもしてあげようかと思っています。
世の中的な一生ものって、高級ブランドだったり、歴史だったり、機械式だったりマニュアル操作のものだったりがメジャーです。僕自身そういうモノを憧れてきたのは事実ですが、こうして生活を共にしてきたアイテムへの愛情も忘れちゃいけない。むしろ、自分への貢献度ならこういうものこそ高いはずですしね。
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