あとがき、或いは深川環はなぜ、ただの巡査長であらねばならなかったか。

 この本を手にとっていただき誠にありがとうございます。三、四年前から、九十年代を舞台にした話というのはぼんやりと構想にあったのですが、鎌倉時代を中心とした歴史物なんかをやっていて、世に出す機会はないだろうと思っておりました。

 それが、昨年の夏前ぐらいに、ババババーっと構想を思いついて、読者がどれだけいるか分からないけど、書きたいんだから書いちゃえ形にしたのがこちらの作品でございます。

 最初は今年の五月の文フリで出すつもりでしたが間に合わず、十一月の頒布になりました。実に構想から一年半です。長かったー。
 九十年代後半の世相を女子高生という、今よりももっとセンセーショナルに扱われた存在を通して描く上で、 色々気を使ったのが物語の視点をどう取って、文フリを始めとする同人誌即売会に来る層の読者にどう見せていくか、ということです。

 例えば、今から十年以上前、ケータイ小説なるものが流行したことがありました。当事者たちにとってはああいう内容はリアルのものであったとしても、普段本を読む層からすると、ストーリーは突飛で、文体は稚拙に見え、散々に言われがちだったりしました。

「文化圏の違う少女たちが理解不能な行動をしている」と思われないようにするための視点として用意したのが、タマ姉こと、鉄道警察隊渋谷第二小隊、深川環巡査長だったわけです。

 環には元になった男性キャラがいることはいるんですが、読者の友達に一人はいそうな人、というのをコンセプトに造形しました。エネルギッシュで正義感が強く、お洒落とかにあまり興味がないタイプ。彼女の視点を通すことで、加奈と美頼が読者の前を他人事として通り過ぎるのを防ぎたかったのです。

 また、援助交際に手を出していた少女は、肌を焼いて金髪にしていた、いわゆるコギャルと言われた子たちとは重なる訳ではない、というのは当時の本を読むと頻繁に指摘されています。ヤマンバと呼ばれた、小麦色の肌の上に白いパール系のメイクを乗せる派手なスタイルは、ストリートを生きる上で、むしろ、大人たちから舐められたり、性的な関係を迫られたりするのを防ぐために生まれたとも言われています。

 なので、加奈と美頼もコギャルから外して、加奈はエキセントリックな美少女(に見えていたサブカル系)、美頼はそれを追随する高校デビューというキャラ付けにしました。割とリアルな造形だと思うんですが、いかがでしょう?

 こういったミステリーであるならば、環には捜査一課にいてもらうのが立場的には正しいのでしょうが、そうすると遠くなりすぎてしまうな、というのがネックでした。

 というのも、女性警察官は警察官全体の八%にすぎません。本文にもあるように例えば日本の管理職のうち女性の割合は僅か七%です。警察で一課に配属されることと、民間企業で管理職になることは同じとは言えませんが、警察のような男性社会の中で一課という選ばれた部署に配属されることは、男性とは比べものにならないほどの、本当にごく一部の選ばれた存在になってしまう訳です。

 その視点から、加奈と美頼を見てしまうことは上から目線になりすぎてしまう、と思いました。また、そうやって評価されてしまった女性のキャラクターを想像した時に、周囲の成功できなかった人間は、安易に努力が足りなかったと考えてしまう、生存者バイアスの持ち主になってしまうのではないだろうかとも思えました。

 ですが、生存者バイアスを改めるように物語を持っていくには、ただでさえ長い話がさらに長くなるし、生存者バイアスはむしろ意識高い男性キャラが見せる方が短く、対比になるだろうと。

 むしろ、我々が良く見てきた働く女性の姿というのは、現場レベルではベテランとして一目置かれ、発言力もそれなりにあったりする、派遣さん、パートさん、或いは肩書が無いままの女性社員では無かったろうか、という思いがあります。実際、読者にとっても、今までの職場や、取引先に何人か思い出せる女性がいるのではないでしょうか。
 出世していない巡査長の環は、そういう存在として描きたかったわけです。その上で、周囲からは「公務員だから勝ち組」とか言われる、或いは自分で「私は恵まれている」と言う。

 この辺がロスジェネとか氷河期世代と言われる我々のリアルだと思います。

 であるが故に、特に後半の展開は警察組織として考えると結構無理があるなあというのは分かっております。組織としてのリアルより、世代としてのリアルを優先させたらこうなりました。難しいね。

 また、何でもお見通しの天才名探偵みたいのも、現代をテーマに描く上でやめたかった点でもあります。匿名掲示板、あるいはSNSでは上から目線で分かったつもりになっている日本人のなんと多いことか(CV森田美由紀)名探偵のキャラは本読みの理想的な自我であるのかもしれませんが、例えば、閉じ込められた洋館の中で起こる事件のような、現代が舞台でももっと戯画化された作品ならば気にならなくても、平成という世相そのものがテーマになっている本作品の場合は、インターネットの中で数多目にする名探偵の劣化コピーたちに埋もれてしまう気がしました。というか、お見通しなんだったらお前それを変えるために何も行動しなかったのかよ。みたいな。

 やや古典的な感じもしましたが、環には、正義感を暴走させながら、その中でもがきながら答えを出してもらうようにさせたかったのです。

 この話は、一九九七年の加奈と美頼の関係、さらにそれを追う二〇一七年の環との関係という二つの女性同士の絆が核になっている訳です。

 で、警察官である以上、誰かとコンビを組む必要がある、ここで環の相棒も女性にするのも考えたのですが、この話のテーマと合わせて考えた時に、そこも女性にしてしまうと、「女同士の絆こそが至高、男なんてクソ」と読み取れてしまうのではないか。しかも、ここまで社会について突っ込んだ作品で、そう読み取らせてしまうのはいかがなものか、と考えて、出てきてもらったのが赤城君くんです。『ズートピア』みたいな、ラブにならない男女の絆にしようかなと。

 ただまー、加奈と美頼が、ガチ百合なので、もっと百合を求めていた人には申し訳なく思っております。

 さて、執筆期間一年に渡る長丁場でございました。作者も持てる力を全部出しました。

 一年の長きに渡って執筆し続ける上で、作者自身にとっても、環は良い相棒だったなと思っています。日常と物語を行き来する上で、彼女の強さと生命力に支えられた部分があります。

 体力、年齢的に長編は今書いておかないと次はないかもしれないと挑んだ訳で、次回作については未定と言うしかありません。

 物語として、作品として、至らぬ部分はあったかと思います。素人なので、法律とか警察組織とか、割とツッコミどころはあるかもしれませんが。お見逃しいただければ幸いです。

 そして、皆さんの心に何か刺されば幸いでございます。
 
 すと世界拝

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