阿久津龍平 『羊を扱う料理人として羊肉の普及をしていきます』

現在は、世田谷区のジンギスバルまーさんにおります。 1988年生まれ、新潟県出身。羊肉…

阿久津龍平 『羊を扱う料理人として羊肉の普及をしていきます』

現在は、世田谷区のジンギスバルまーさんにおります。 1988年生まれ、新潟県出身。羊肉に出会い、歴史を感銘し、羊肉の普及をしていきます。 国内で一人当たりの年間消費量200gをもっと増やしたい

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羊旅の終わり始まり

私、阿久津龍平は2022年12月20日、火曜日をもちまして、新潟のお店から離れて東京のお店で働きます。 コロナが始まる3年前にラム肉のお店にきて、この3年間はこれからの人生の糧になるとても素敵な思い出ばかりでした。 社長をはじめ、歴代のアルバイトスタッフや生産者、料理人、そしてご来店して頂いたお客様、たくさんのことに気付かされ、貴重な経験をさせて頂きました。 その中でどんな料理人像をなるか右往左往しておりましたが、 何を伝えていく料理人になるのか考えておりました。 【羊

    • 羊肉第三次ブーム2020年

      令和まで続く、3期にわけた羊肉の盛り上がり 羊肉を第一次ブーム、第二次ブーム、第三次ブームと分けて話すのは、「羊の第二次ブームは……」と考えさせられますが、 あくまで主観的な要約として見て頂ければと思います。 【第一次ブーム】 北海道からジンギスカン認知拡大 昭和37年の羊肉の輸入自由化で安価な冷凍肉が日本に輸入されます。 この時期、北海道に検疫所があった関係と、もともと羊肉を食べる習慣が地元にあったので、羊肉は主に北海道へ送られていました。この当時、畜肉の中では羊肉が最も

      • ジンギスカンはどこから来たのか??

        日本独自の羊料理で、北海道文化遺産にも登録されています。 北海道文化遺産にも関わらず、海外の英雄の名前を冠し、多くは海外産の羊肉を使うにも関わらず(日本の羊肉の99%は輸入肉であるから)文化遺産というグローバルだけれども、良い意味でローカリゼーションされた珍しい料理ではないかと思います。日本人の食に対するおおらかさと大陸や草原への憧れが込められた素敵な名前ですよね。 このジンギスカンの歴史は、すごい研究されている方もいらっしゃるぐらい深い話題ですが、ざっくりと要約し、北

        • 羊毛から食肉へ。ジンギスカンはどこから来たのか?

          戦後の日本を支えた羊。過去最大の飼育数を記録  軍備のための「緬羊百万頭計画」はうまくいかなかったものの、戦後の食料難と衣類不足により羊の国内飼育熱が高まり、状況は一変します。 毛肉兼用種であるコリデール種を中心に頭数を増やし続け、1957年(昭和32年)に農林水産省調べで94万頭、実数では100万頭を超える数まで増えたといわれています。 地域ごとの内訳は、北海道25万7千頭、東北29万4千頭、関東19万頭、北陸3万5千頭、 東海1万6千頭、 近畿1万5千頭、中四国8万頭、

          大規模飼育再び。緬羊百万頭計画!

          その後、日本が改めて「羊だ!」 と重い腰を上げたのが日露戦争後です。零下30度に迫る極寒の中でロシアと戦った日露戦争の経験が元になっているようです。 なんせその時の防寒着と言ったら粗末なものしかなく、 山羊の毛皮でチョッキを作ったり、カーキ色の布をマントのように巻きつけたりと苦労したそうです。 それで骨身にしみたのか明治41年に北海道の月寒に公営の種畜牧場を設立し、国が羊の飼育に改めて本腰を入れはじめました。 そして大正3年になり、第一次世界大戦が始まります。 明治の初期に

          2、明治維新富国強兵と羊

          明治維新、そして、富国強兵には羊が必要?! テスト飼育が行われていた江戸末期も終わり明治維新を迎え、羊はここで一気に注目を集めます。残念ながら肉ではなく今までの流れの通り「羊毛」です。明治政府の富国強兵政策により、寒冷地での戦闘が発生する可能性が出てきました。毛織物で軍服を作るため、羊毛や毛織物の輸入をはじめます。しかし同時に大きな懸念が出てきました。輸入に頼った防寒具ではもし輸入が止まった場合、日本軍は木綿や麻など防寒性が高くない国内原料で作れる軍服で氷点下数十度まで下が

          羊を知らなかった日本人

          明治以前の日本人の羊に対する認識についてまとめてみました。 昔の日本に羊はいませんが、みんなが知っていた家畜でした。それはなぜかと言うと「干支」に含まれていたからです。見たことはないけど、みんなが知っていますし、中国の物語などでもよく出てくる。 羊は概念としてみんな知っている生き物でした。 しかし、姿形がわからない。そこで、「ヤギに似ている」と言う中国の書物の記載に従い、絵などで羊を描く場合、山羊を書く事が多かったのです。虎や龍と同じく、羊は「知っているけど視覚体験がない」

          日本での飼育のはじまり。毛織物生産の黎明と挫折

          その後時代は進み海外との交易が盛んになると、貴族や戦国武将の贅沢品として羊毛製の布製品が輸入されはじめ肉よりも羊毛の需要が高まりました。 しかし、羊を飼おう!という機運はそれからしばらく立った江戸後期まで起こりませんでした。 飼育の始まった記録を見ると、 1805年長崎奉行の成瀬因幡守が肥前国浦上村(長崎県西海市付近)へ羊を輸入し飼育を試みますが、失敗。同時期、幕府の奥詰医師であった本草学者の渋江長伯が巣鴨薬草園に中国から羊を輸入、繁殖させ数百匹まで増やしましたが大火により

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          『羊肉に感銘した』普及のために羊を知ってください

          改めまして、阿久津龍平と申します。今後は「りゅう」と名前で表記します。 羊肉(ようにく)を扱う料理人として、 みなさんに羊肉の歴史や日本人との関係を知って頂き、 その上で、普及に繋がったら嬉しいです。 羊と日本人の関係性羊はどこから渡って日本に来たか? 現代人が羊と言われて想像する羊は、もともと野生にはいない生き物です。紀元前7000年頃古代メソポタミア付近(今で言うシリアやレバノンあたり)で、コルシカ島やイラン・小アジアなどの山岳地帯に生息していたムフロンなど羊の原種

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          もちもちしたベーグルフレンチトーストレシピお伝えします。

          フレンチトーストを初めて食べた時を覚えていますか? これも小さい頃の話ですが、初めて一人でお留守番する日に 近所の関根さんというお母さんが心配をして様子を見にきた際に、 『これ、食べなさい』と言って持ってきてもらったのが フレンチトーストでした。 初めて見る食べ物で、パンがもちもちしているんですよ。 子供ながら不思議に思いながら食べた記憶があります。 食べてみると、とにかく美味しいと思い、あっという間に食べました。 今回はアレンジも加えた、ベーグルフレンチトーストの レシピ

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          皆さんの好きな卵さんどの中身は、どうやって作ってますか?

          コンビニやパン屋さんでも必ず見かける卵さんど。 ぼくは小さい頃、卵が苦手でした。訳は黄身がパサパサして口の中の水分がとられる感じするからです。なのでスクランブルエッグは食べれました。幼い頃の共感してもらえる方はいますか? 今回はお家でもできる、とろとろ卵の作り方をご紹介致します。 今回は #おうちラボ  レシピシリーズです。 【20分デキル】自宅でとっても簡単!材料は3つ材料は 1、卵     2個(茹で卵用) 2、卵     2個(スクランブルエッグ用) 3、砂糖   

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          セロリもガリになるレシピを小分けします

          お寿司屋さんに行くと必ずあるガリは食べますか? ぼくは回転寿司なら必ずガリ用のお皿を用意してそこにガリを置いて 箸休めで食べています。でも家庭だとあまり食べる機会がありませんよね? 大人の方ならお酒のおつまみにも向いてるので普通のガリよりハマります。 今回は #おうちラボ レシピで小分けします。 【5分デキル乙まみ】自宅でとっても簡単!材料は3つ材料は 1、生姜の甘酢漬け(スーパーで100円くらい) 2、セロリ    (1本) 3、すし酢    (20g) 以上です。

          『料理が楽しいは連鎖する』と感じた特別な日

          はじめまして、阿久津龍平と申します。今後は「りゅう」と名前で表記します。 このnoteで、ぼくが普段どのようなことを考えながら料理や、 お店づくりをしているのかをお話しできていけたらと思います 料理を始める機会はいつ、どこでもやってくる ぼくが料理を始めた頃は、たくさんの方々に教えてもらう機会があり、 イベントなどに参加させて頂ける機会もありました。 普通に考えてみれば、まだ料理を始めた人がイベントに参加できること自体が奇跡だったと思います。 周りは何年もその世界で料理