本質を見抜く力の欠如がメンタルブレイクに繋がっている件について

本質を見抜く力について考えています。

私自身、自己臭恐怖症に伴う対人恐怖症を患っています。主な症状としては対人と接する上で恐怖を覚える事になります。

此方をもう少し咀嚼してみます。果たして自己臭が相手に迷惑をかけている事が真と仮定した場合、何故恐怖を覚えるのでしょうか。

私見で恐縮ですがおそらく、[相手に受け入れられる感覚][共同体感覚]を得られない可能性が高まる事による恐怖かと思います。

集団で生きる事を正としてきたサルとしての本能でしょうか、たしかに集団生活の中で相手に受け入れられない場合助けて貰えない以上、生存確率は下がるでしょうから、その点に於いて恐怖を覚える事は間違った事では有りません。

一方で、果たして現代の社会に於いて本当に生存確率が下がるでしょうか。答えはNOです。つまり、私は生存確率が下がるだろうと、特に考える事も無く脳が判断した情報を自ら咀嚼する事無くただそのままに受けれいて、生まれてきた恐怖という感情に振り回された結果が今の対人恐怖症という症状になったと分析しました。(この時点で間違った解釈を正すというアプションは取っていますので下記分は追記となります)

此方の仮説から私が取るべきアクションプランとしては、スキルを身につける事で相手に受け入れらなくては成立しないなんていう不安定な関係性構築から別の世界線で生きる方法を模索する事、成立させる事を採用しました。

イメージとしては、集団の中で気に入られた人がピックアップされて職責範囲を拡げていくような集団生活からは離れて、年次契約の仕事をプロフェッショナルとして受けて、成果でお返しするような生き方。

近しい人間との関係性については、幸いな事に家庭を持っていますので現状の自分を受け入れてくれる人と、毎日を楽しくたくさん笑って過ごす事ができればそれでいいというプランになります。

以上、最近考えている事を無秩序に書かせて頂きました。読んで頂き誠に有難うございました。

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