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自分のgiverを信じ切った【taker】の皆様へ。

なんというか、腹が立ちますよね。

自分は善だ!!って声高に主張する人に、わたしは危惧と疑問を呈したいです。たとえば、マナーを守れない人間はイベントに来ないでほしい!とか。あまつさえ主催者の気持ちを代弁するかのように、『誰々を悲しませないで!!!』なんてSNSに平気で書くわけですけど、それって本当に大丈夫なんでしょうかね。

補足ですがマナーを守れない人はイベントに来ないで欲しいのは事実です。それを『デカい声だと自分や周りが認識するほどデカい声でわざわざ主張する』という行為に対して疑問を呈したいんです。

giverとtaker っていう話があって、人に与えられる人がgiverで、受け取りたい、欲しいっていう人はtakerって呼ばれるらしいんですよ(奪う とも言います)。わたしは最近友達と話しているときに、自分がgiverなのかtakerなのか みたいなことで、わたしも友達も多分giver側なんじゃないかな っていう結論に落ち着いたわけです。

でね??それでね。giver っていう人たちは果たして声高に『私たちはgiverだ!!!!』って言うのかしら、とわたし自身は疑問に思うんですよ。そりゃ自分好きでいることは素敵なことだし、大切なことですが、giverっていうのは見返りを求めず、誰かを攻撃もしない優しい人を指す言葉だと私は思うんですね。

最近よく目にしてしまうものがあって、善人の皮を被った悪魔がこの世にはたくさんいると思うんです。『マナーを守って』っていう言葉はわたしの好きな音楽の界隈やTRPGの界隈において諸々、度々、話題に上がることですが、それをでかい声で主張する人、同調する人、そして『giverのわたしたちの居場所にtakerは侵害してこないで』みたいな言葉。

giverとtakerの話に限らず、善悪は表裏一体じゃなかろうかと。だって、いつも揺らぎのない善人でいること って普通の人には難しくないですか?

事実、わたしは、giverだという自覚があるからこそ、ふとしたときにそれを武器にして誰かを攻撃してしまってないか?と、自分自身に確認をするんですよね。わたしは、giverでいられる自分が好きでいたいし、それに誇りを持っていたいと心から思うから、自分の善にある意味で懐疑的です。悪いことをしそうになる瞬間とか、人に嫌な思いをさせてしまいそうな瞬間とかが、わたしには人間らしく備わっていて、それらに対して自覚的でいます。

だからストップをかけたり、言葉を飲み込んで悔しいながらも持ち帰ったりする日があるわけです。自分の誇りを保っているためにね。わかりやすく言うとダークサイドに落ちないために ですよね。反撃でオーバーキルしたら自分も悪い人になっちゃうだけなので。

【本当に】やさしく、善人でいられる人 がわたしと同じかどうかはわかりませんが、わたしはなるべく真面目に優しく生きる という前提において、自分が人を攻撃していない と自信をもって言えてしまうときこそ 要注意だな ってちょっと思うんですよ。でかい声でそれを主張するようになってしまったら、ノイジーマイノリティの完成だとわたしは思うから。マジョリティかもしれん。わかんないけどノイジーではありますよね。自分を大きく見せる行動ですから。

誰かの気持ちは誰かにしか分からないもので、ライブの主催者 とか、ゲームの制作者 とか、その本人に代わって『ファン』という立場の人たちが勝手に『主催者/製作者のことをずっと見てきた自分の意見が正しい!!自分の意見を聞け!!!』って主張するのは、至極危険な行為だと思うのです。

なんていうの?なんかさ〜〜。モヤモヤしたんすよ。
善意の皮を被って友達同士で話している会話 みたいなやつ。

『最近の界隈って"私たちと違って"マナー悪いよね、悲しい〜〜』『本当それ、マジで常識ねえなって感じ。"優しい人たちがルール守ろうとしてるのに"辛いよね……;;』(例文)みたいな、そういうの。

黙っていようかと思ったんですがどうしても心底腹が立ってしまって、でも、攻撃するのはやっぱり良くないなと。そういうわけで文章を書く という冷静な行動において問題提起と、消化の両方を兼ねたいと思います。不特定多数に向けての、作品としての発信ができるのであれば、わたしも納得できると思ったので。


さて、続きです。

それらが悪玉を大量に含んだ、悪意と棘のある会話だってこと、自覚されてるのかどうか疑問ですね。優しくない会話をされているなあ って心から思います。悲しい気持ちになるし、わたしも勝手に傷ついてしまったりとかして、悶々とする日があったり。心底ムカつくなぁ と思ったりで。攻撃しに行ってしまったらgiverの敗北なのでしませんけど。

立てなくてもいい波風をわざわざ、周りの人を巻き込んで立てられる人は、たぶん純粋なgiverではないと思う。そういうとき(恐れながら 尊敬するアーティストの言葉を借りますが)、いわゆる【サイレントマイノリティー】のわたしたちは『くそー、本当のgiverはそんなんじゃない、悔しい』って思いながらも黙って見ているしかないわけですよね。理由はたった1点にありますね。波風をそれ以上広げたくないから。

これ見て『喧嘩売られてる……?』って思う方がいるとするならそれは、自覚がおありになる っていうことだと思うので、1回ご自身の顔を鏡で見直してみたほうがいいんじゃないかって思います。そういう『優しいわたしたちが傷ついてる(泣)』みたいな文章を書いているときの自分の顔は、ほんとうに人に見せられる顔ですかね。わたしは違うんじゃないかと思っちゃいますね。

次いで、マナーを守ろう!とかデカい声で言ってる人に限って、本人は棚上げだったりするわけです。詳細書いちゃうと波風立っちゃうから書かないんですけど、SNS触ってるとそういう矛盾ってわりとたくさんあって、色々と波風立てていらっしゃいますけど、当のご本人のマナーはどうなってるのかしら??と思うことがあります。あ、そっちで悪いことしてる人をめちゃめちゃ強火で攻撃されてますけど、ご自身のそこは正当化されるんですね〜〜 てなる。

SNSだけじゃないかもな。リアルでもそうです。
自分が何も間違った行動をしていない なんてこと、たぶん無いってことです。

自分の素敵な部分が損なわれていないか、無意識に人を攻撃してはいないか、
自分たちは優しい!と声に出して言うことで悪意の波風をつくってしまってないか、もうちょっと考える必要があるんじゃないかな って思います。

最近の所感でした。筆者も例外ではなく、誇れる自分で居続けたいと思うし、これからもgiverでいたいからこそ私は、自分のgiver に頭のどこかでは常に懐疑的でいたいと思います。(慢心にならないように!)

読んでくださってありがとうございました!

以上すべて、個人の意見であり、全ての人の総意ではございません。
主語を大きくした解釈をされる方がいらっしゃいませんように。



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