見出し画像

こうあるべきと考える危険性

社会人になって3年目のことだったと思う

大手SIerの子会社に就職した私は
2年目から親会社に逆出向していた

まぁ、もともと入社した会社は
親会社の営業担当者が獲得した仕事を
させていただいていたので
実態としては何も変わらなかった

ただ、上司が2人いたり
名刺が変わったりという影響は
少なからずあった
(他にも何か影響あったかな?)

当時、入社3年目の私
同じプロジェクトに参画していた
13年目の先輩Aさんに対して
結構ネガティブな見方をしていた

Aさんの同期にあたる先輩から
Aさんの話を聞いていたということもある

でも、サブコン(下請け)の会社の方から
Aさんが怒られている姿を見て、正直残念だった

実際、私もAさんに文句を言ったことがある

これは、私の中で
「スマートに仕事をこなす」
という美学があったように”今は”思う

作業をお願いしているサブコンの方には
毅然と対応すべき

後輩(である私)には明確な指示をすべき

と言った、勝手なルールを作っていたのだと思う

でもね

人のタイプなどを学んだ今ならわかるんだよね
Aさんは、じっくりと身体で感じていくことが
得意な方だったのだと

10年も後輩の私にボロクソに言われて
相当腹が立ったと思う

一度だけ言い返されたことがあるけど
それまではずっと我慢してくれていたんだろうなぁ

気遣いの人だったと思う

でも、エンジニアとしてのスキルは
会社が求めている基準には届いていなかったのかもしれない

プロジェクトがもう間も無く終わるという時に
Aさんは、希望退職者のリストに載っていた

ストレートにいうと「リストラ」されたのだ

当時の私は、隣で働いていた先輩が
いきなりリストラされたショックを受けた
と同時に、やはりAさんは能力がなかったのだなという
気持ちも少なからずあった

会社は守ってくれないという気持ちも
この時に少なからず芽生えたと思う


さて、ここまで色々と思い出しながら書いてみたが
やはり、「〇〇だから**であるべき」
という考えは色々と苦しい気がする

プラコンだから毅然としている
先輩だから明確に指示を出す

といったことは、どこにも明文化はされていない
それなのに、私の中ではルールブックのように
適用していた

他人に対してルールを課しているから
自分はそれ以上に厳しくルールを守る

こんなマイルールもあったのだと思う
頑張ってたよね、昔の私

そんなに自分に厳しくしなくても良いからね

こんな言葉を当時の自分にかけてあげたいなと思う



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?