【中国日誌】435日目 22.10.29

夢をみた。とてもリアルで、とても感情に訴えてくる夢である。そこにいた彼女との触れ合い。とても人間的な空間。そこで営む会話、動作が、生々しく、それでいて満たされた空間であった。そこは有る高層建築物の上の階。しかし、部屋は少し狭く、昭和のような古びた感じ。生活感は薄く、一か所に本や服などがかためておいてあった。寝る合間に、彼女はおきるやいなや、何か見たかとのない立方体の道具を取り出し、何かの蓋を開けていた。その立方体の道具の内部には複雑な道具が詰まっているようであった。そのあと、記憶が飛び、私はどこかへと向かっていた。そこは外である。私は走っていた。恐らく、あの部屋に戻るためにである。私は感じていた。もうあの部屋に空間に戻れないのではないかという不安。私は一人である。そして、記憶をたどり、その部屋へと向かう。この道は、私の知る道、だから正しいのだと。そして、階段を駆け上がって、そこは行き止まり。さっき来た道を引き返し、分岐点となった別の道を進み、知っているところであったのでそのまま進んだ。そして、部屋の前と思しき、廊下と扉の前に立つ。そして、また記憶が飛んだ。私は走っていた。次は、あの部屋を離れる方向へと。理由は分からない、見覚えがある道を逆走している。そして、また記憶が飛んだ。私はまた走っていた、次は部屋で見たあの不思議な立方体の道具を持っていた。恐らく、私はこれをどこかにとりに行っていたのであろう。途中、信号機が見えた。大勢の人で溢れて、その大勢の塊が、交差点の道路を渡っていた。すると、横から車が人混みの中に無理やり入ってきて、ほとんどの人はそれを逃れることができたが、一人、車にひかれたのが見えた。子どもであった。私はその車によって開かれた道を通り、難なく道路を渡り終えた。ひかれた子どもは無事であり、おばあさんに抱かれていた。おばあさんは、渡ることができなかったおじいさんに片手を大きく上げ子どもの無事を伝えていた。そして私はあの部屋に向かって歩みを進めた。途中で規格外に大きなトラックが横を通り、危険を覚えた。そのトラックには複数の人がしがみついており、一部、転落しているものもいた。私はその先の残酷な末路をみないように、目をさらし先を進んだ。進んでいくと、右側に朱色の鳥居が見えた。見えたのは一基かと思えば、重なる様に後ろに複数の鳥居が並んでいた。鳥居の中に建築物があり、そこは不思議なクリーム色のガラスのような透明な光沢を放っていた。そして、その背景に目を移すと、そこにはとても大きな鳥居が幾重にも重なり並んでいた。そして、その鳥居は、町の中に違和感なく溶け込んでいた。そして、進むべき道に目を向けるとそこには壮大な風景が広がっていた。大きな山が二つ並び、そのふもとは平地であった。左側の山の頂上からは白い大きな筒のようなものが私が来た道に向かって伸びていた。最初は超巨大な鳥居かと思ったが、違かったようである。そして、また山の方に目を向け、その壮大な美しさに感動した。山の中には点々と古い風車が建っていて、何か遊園地のような構造物が建っていた。お城のようなものもあるが、それは時代を感じさせる、雰囲気であった。古くさびれた閉園10年目の遊園地というよりかは、わびさびのような、上品な、そんな雰囲気を放っていた。壮大であった。その建造物は自然に溶け込むように立っていた。本当に美しいと感じた。忘れないように写真にとろうとしたくらいである。そう感じた時間は、おそらく一瞬であり、私は歩みを止めず進み、二つの山の谷間の道を登った。その谷間を越えたところに、見えた建造物が、それはおそらく旅館のようなものが、私の知るものであった為、私の向かうところは正しいのだと安心した。そして、また、進んで部屋へを走っているところで、意識が覚醒し始め、私の夢は個々で途切れたのである。彼女にもう一度、会いたいという切なさが残った。

夢とは、本当のもう一つの世界なのかもしれない。私たちが覚えている夢とは、あちら側の世界で、こちらに戻ってくる直前のできごとが、こちらの意識と重なり、こちらの記憶に残ったものだと思う。夢とは面白い。夢に感謝を。

朝7時に起き、支度と日課。ピアノは2.5時間練習した。前日、ほとんど食べ物を食べてなかったので、練習途中から、苦しくなってきた。元気であればもっと弾けてたかもしれない。そして、ご飯を注文して、食べて、3時間寝て、18時過ぎ。そして、21時半まで、ゆっくりと過ごし、寝た。

宜しければサポートお願い致します。