【中国日誌】796目 23.10.26

腹を立てる必要のない所で、腹を立てる自分がいる。なぜ腹を立てたのかが分からないのである。そもそも、怒る必要もないのである。怒らなくても、結果に影響はない。怒っても、影響はない。怒る、理由がないのである。だから、わざわざエネルギーを消費してまで、怒ったのは、何故だと思う。そんなめんどくさいことを、何故、するのか。そうしたいから、としか、思えない。ただ、好奇心を満たすように、ただただ、怒る。それによって、不快になり、その不快を餌に、不快を助長する物語を紡ぐ。メリットはない。怒っている瞬間を楽しんでいるのか。怒ることで、何かを、忘れようとしているのか。何かを、見ないようにしているのか。怒りは、自分を視えなくする。自分を見失わせる。故に、怒りの機能とは、自分を視えなくするのだから、怒ったということは、その機能を発動させたかった、ということになる。では、私は、その時に、何か見たくない、自分が、そこに在ったのだろうか。みじめな自分か。不安を感じる自分か。計画を見失う自分か。思い通りにならない自分か。そういった自分から、目を逸らさせるために、私は、怒り、私の意識の対象を、他者に、向けたのである。ならば、納得はいくというものだ。現実逃避なのかもしれないし、自意識過剰を避けるためかもしれない。今作り替えられて行っている、まだ脆い自我を守るための自己防衛かもしれない。まあ、感情は、必要な時に必要なだけ、必要に生じる。私はは怒りが、必要だったのだろう。怒りに、感謝を。

朝4時に起き、支度と日課。8時に出社。18時半に退社。ご飯食べて、21時半くらいに寝た。

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