【中国日誌】918日目 24.2.25

目に飛び込んでくる、無数の情報。そこには、私と言う境界がある。私と言う境界は、私の感覚器官の許容範囲でもある。処理できる範囲が、境界である。その境界内に、私にとっての、宇宙が広がっている。それが全ての世界である。ゆえに、広大で壮大。ゆえに、強弱があり、揺らぎがある。奥行きがあり、上下がある。焦点があり、背景がある。注意を向けたいところに、フレームを置き、それ以外を、ぼかす。そのフレームが注意可能な範囲。パソコンのディスプレイからスマホの画面。このサイズが、注意可能な範囲。こういった、適度な画面サイズが、私の注意をそこに、向けさせ続ける。このフレームが、さまざまな、誤謬をもたらす。フレームを設定するのは、本来は、私であったはずだ。しかし、現代は、あらかじめフレームが決められ、その中身まで、決められている。私は、その誰かが恣意的に設定したフレームを用いて、自分が関心のあるものだと、勘違いする。私の、興味は、私の関心は、誘導されているのかもしれない。意外にも、フレームとは、強烈な概念である。感謝を。

朝7時半に起き、支度と日課。2時間ピアノ弾いて、あとは、漫画見て、途中寝て、をし、ご飯食べて、寝る前にシャドーウィングして、21時半に寝た。

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