見出し画像

ロシアはなぜウクライナを攻撃するのか?〜ロシア目線で解説〜

賢く豊かに暮らしていくことを目指してInstagramを中心に情報発信をしている社会科先生ママの素敵ママなるぞー(@sutekimama_naruzo)です。 

今回はいま話題のロシアとウクライナの問題について。日本のメディアの報道はどちらかというと欧米目線が多く、ロシア目線少なめかと思います。

画像1

そこで、このnoteではロシアがなぜウクライナを攻撃するのか、なぜウクライナがNATOに加盟しNATOが拡大することを嫌がるのかを地理的・歴史的に分析しながらロシア目線で解説していきます。

画像6

【主な参考資料】

中学歴史資料集 学び考える歴史 浜島書店

1.ロシアの地理的特徴ゆえの不安

広すぎて寒すぎるロシア
①凍らない港がほしい
②広すぎて防衛が大変(大きな家の防犯が大変なように。。。)なので緩衝地帯(ヨーロッパの国々との間のクッションになる場所)が欲しい
→周辺国をNATOにとられたくない

ところが、NATOはEU加盟を餌にロシア周辺の緩衝国を次々と引き剥がしたのです。

国家の安全保障の観点からロシアは
①緩衝地が欲しい
②これ以上NATOに味方陣営を引き剥がされたくない
だからウクライナのNATO加盟は絶対許せない!

2.NATOとは?

ここでNATO(北大西洋条約機構)について説明しておきたいと思います。

画像7

             (NHK for schoolより)

NATOとは東西冷戦が激しくなった1949年、米国や英国、フランスなど、いわゆる西側諸国によって組織された国際軍事同盟です。加盟国の領土と国民の防衛を最大の責務とし、加盟国のどこか一国が武力攻撃を受けた場合は、全加盟国に対する攻撃とみなして集団的自衛権を行使すること(条約第5条)を規定しているのが特徴です。

その一方で、冷戦時、NATOに対抗してソ連を中心とする東側陣営はワルシャワ条約機構という軍事同盟を組織していました。

◆冷戦(冷たい戦争)◆
  アメリカ中心        ソ連中心
  資本主義陣営   VS   社会主義陣営
  (西側諸国)             (東側陣営)
北大西洋条約機構(NATO)         ワルシャワ条約機構

画像3

1989年(私が生まれた年!)に冷戦は終結し、ソ連とアメリカなど西側諸国との間で和解が進みます。その後ソ連のゴルバチョフ書記長はWTO(ワルシャワ条約機構)を解体し、NATO不拡大を求めます。

NATO不拡大を当時アメリカとソ連の間で約束したかどうか、いまアメリカとロシアの間でしたしてないの論争となっているのです。

画像8

NATOは冷戦終結時16カ国でしたが、現在30カ国に東方へと拡大しています。いまのロシアの状況を日本の立場に置き換えると、中国・ロシア・北朝鮮・韓国・フィリピン・台湾・インドネシアが同じ軍事同盟で日本に圧力をかけて来るようなイメージとも言えるかもしれません。

巨大な軍事力と経済力が自分の国を圧迫してくるのは恐怖です。自分の兄弟分だと思っていたウクライナが敵側陣営にいくのは絶対避けたいし、そこにNATOのミサイルシステムが配備されたら喉元に銃を突きつけられるような意識があるのです。

3.NATO不拡大は約束されたのか?

1990年2月9日にアメリカのベイカー国務長官は、「NATOは東に1インチも拡大しない」とゴルバチョフ書記長に発言しています。

一方で、アメリカがソ連にNATO不拡大を約束した拘束力のある外交的な合意(外交文書)は存在していません。

4.ウクライナはロシア発祥の地

ウクライナはロシアの発祥であるルーシー公国発祥の地でもあります。
大げさかもしれないが、日本にとっての京都や奈良に近いようなイメージかもしれません。

5.ロシアの歴史的トラウマ

ロシアはなぜウクライナのNATO加盟やNATOの東方拡大をそんなにも嫌がるのか?いったい何を恐れているのか?

じつは背景にはロシアの歴史的なトラウマがあります。

⚫︎世界的なロシアのイメージ
 →侵略的な国家
⚫︎ロシアの言い分
 →侵略的だったのは常に西ヨーロッパ諸国

国土が広すぎるロシアは、過去に色んなところから他国に侵略されたというトラウマが残っています。ここで他国からの侵略された歴史をみていきましょう。

①モンゴル人による国土蹂躙と支配(13世紀)
モンゴル帝国のバトゥの西方遠征
→1240年にキエフ公国が滅ぼされる
→モンゴル人のキプチャク=ハン国が南ロシアに建国
→それ以来、1480年に独立を回復するまでの約240年ロシアはモンゴル人の支配を受ける

画像9

②ナポレオンのロシア侵攻(1812年)
 →モスクワ陥落

画像4

フランスとの戦争をロシアでは「祖国戦争」と呼び、国を守った"聖戦"としてロシアの人々には記憶されています。

③ドイツ(プロイセン)のロシア侵攻とロシア内戦

画像5

 1915年ドイツ軍の攻勢
 →ロシア軍はベラルーシやウクライナ地方から敗走
 →長引く戦争によってロシアの国家財政と国民生活は
  急激に悪化

   1917年ロシア革命
 →帝政ロシアは崩壊
 →1917-1922年ロシア内戦で人口約1000万人減少、
  浮浪孤児700万人超
 →1921年ヴォルガ川沿岸地方の飢饉で500万人以上が
  死亡
 →ドイツ軍はウクライナのほとんど、ベラルーシ、
  ラトビア、エストニアを占領(すべて旧ソ連のエリ
  ア内)
 →トルコ軍はカフカス地方に侵入

国の弱体化が他国の侵略を招く
→緩衝地帯、強いリーダー、強い軍が必要という意識に

④第二次世界大戦中の被害(ナチス=ドイツによる侵攻→独ソ戦)

ロシア(当時ソ連)は第二次世界大戦で最大規模の死者を出しました。

◆第二次世界大戦の死傷者数◆
 日本🇯🇵   646万人
 ドイツ🇩🇪    1050万人
 イギリス🇬🇧    77万人
 フランス🇫🇷    64万人
 アメリカ🇺🇸   122万人
 ソ連    2013万人
中学歴史資料集 学び考える歴史 浜島書店

ロシアでは第二次世界大戦は祖国を守るための戦争だったという教育がなされており、大祖国戦争と呼ばれています。

また、第二次世界大戦の最大規模の戦場は独ソ戦だと言われています。1941年6月、独ソ不可侵条約を破棄したドイツが突如、ソ連に侵攻し、第二次世界大戦が拡大しました。数百万の兵力がぶつかり合った主な戦域だけで、日本に例えると東京から南西に奈良、北に石川県の沖くらいの広大な範囲で大規模な戦闘が繰り広げられました。

画像7

ドイツが侵攻を始めてからソ連は敗退を繰り返し、ドイツ軍はキエフ(今のウクライナの首都🇺🇦)を占領後モスクワへ進軍した。そのことからロシアにはキエフが取られたら次はモスクワというような歴史的なトラウマがある。
だからウクライナを渡すわけには絶対にいかないという意識があるのだと思います。

5.最後に

国際政治の長い歴史をみてみると、戦争が起こったのは、歴史的な政治家1人1人の判断の積み重ね、国家の判断の積み重ねであることが見えてきます。

しかし、歴史的なトラウマがあるからといって、他国へ侵攻する行為は絶対に許されません。

一刻も早いロシア軍の撤退と平和的解決を願います。

長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございます!

気に入って頂けたらスキ♡押してくださると心のガソリンとなり嬉しいです!


この記事が参加している募集