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My Mother「船にニワトリを乗せて、水死体を探しているのを見ていた」

母の子どもの頃の強烈な思い出を聞いてしまった。母が子どもの頃、近所の川で子どもが溺れてしまい、大人たちが船を出して、子どもを探しているのを、母は何時間も見ていたそうだ。今も大雨が降ると氾濫しやすい川で、その時も、大雨のあとだったと母は記憶している。

子どもを探す船の側には、盥(たらい)に乗せられたニワトリが一羽いたそうだ。
「なぜ、ニワトリが?」と母にたずねると「何かの呪い(まじない)なんじゃないかな」と母も首をかしげた。

民俗学を学んだことのあるわたしとしては、好奇心が刺激された。古墳からもニワトリ形の埴輪は出土されているし、神社にニワトリを放し飼いしているところもある。ニワトリという生き物が、神聖な力のある動物として考えられていたのは間違いない。

ニワトリと水死体について調べてみたらすぐに謎が解けた。

「呪術としては水死体を発見するためにニワトリを用いる方法が近世期以降、日本各地で見出せる//生と死、水中と陸上といった互いに異なる世界の境界でニワトリが用いられた」

「(青森県では)海で船が転覆などして遭難者が出た際、なかなか発見できない場合には船にメンドリを乗せて遭難場所へ向かう。船中のニワトリは溺死者が沈んでいるところに着くと、けたたましく鳴くと言われていた。またメンドリの鳴き声を聞かせると遺体が海中から浮上してくるとも言われる」

小池淳一「境界の鳥―ニワトリをめぐる信仰と民俗―」国文学研究資料館紀要(文学研究篇)より

母の地元、茨城県だけではなく、日本各地でこのニワトリの呪法が行われていたことを知る。川だけでなく、海の場合もあった。また、雪崩による遭難の場合にも応用されていた。

「陸上で生活するわれわれにとって水中や雪中は異界であり、その様相については容易に知りがたいものであった。それをうかがうにはニワトリの力を必要とし、またニワトリはトキを告げる、すなわち鳴くことによって、その能力を発揮したのである。

これは水中と陸上との境界においてニワトリが能力を発揮するという知識であるとともに、生の世界と死の世界との境界をニワトリの鳴き声が示すということでもある。ニワトリは、その声によって現世と他界、生と死の境界を表象する存在なのであった」

小池淳一「境界の鳥―ニワトリをめぐる信仰と民俗―」国文学研究資料館紀要(文学研究篇)より

母が目撃していたのは、こうしたニワトリの呪術であったことが分かった。

子どもを探す捜索は半日くらい続けられ、ついに水死体は見つかる。そのとき、ニワトリが鳴いたかどうか、母は覚えていないらしいが、水死体が引き上げられるのを見た母はショックから具合が悪くなってしまったそうだ。近所に住む親戚のおじさんから「そんなのをいつまでも見てるからだ」と叱られたことも覚えているようだ。
スティーブン・キングの『スタンドバイミー』ではないが、「子どもの死体」という自分とは異次元だと思われるものに子どもながらの好奇心を持ってしまった母が、初めて触れたリアルな死の体験だった。

生と死の境界を媒介すると考えられているニワトリ。ニワトリを使った水中の死体を探す呪法が昭和30年代にまだ残っていたのだと思うと感慨深い。でも、よく考えたら、今も生と死の境界は「存在」している。

京都の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は、あの世とこの世をつなぐ場所だとされ、平安時代の高官で神通力の持ち主とされる小野篁(おののたかむら)は、六道さんの庭にある「冥途通いの井戸」から夜な夜な冥界へ通っていたと物語られている。観光旅行で行ったことがあるけれど、今も六道さんを参るひとは多い。青森県の恐山もあの世とこの世を媒介する土地だ。媒介者としての霊を呼び寄せられるイタコもいる。お盆も盆踊りもハロウィーンも、思えば、生と死の境界という世界観に基いている。

どんなに科学が進歩しようと、デジタル社会に突き進もうと、こうした感覚は、令和の時代も残り続けていくのだろうし、どこかでまた生まれるかも知れない。

✳︎

ニワトリの鳴き声を最後に聴いたのはいつか、思い出せないでいる。
「風邪のときにせきこんで息を吸う音がニワトリの鳴くのに似ている」ことから、ニワトリには、咳止めの神様として祀られることもあるそうだ。新型コロナウイルス感染がなかなか終息しない今、妖怪のアマビエのようにニワトリを崇めるのもいいかも。

ニワトリの鳴き声を改めて聴いてみたくなった。

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