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My Father 「火星になんて、行ったりしないでね」

父と手をつないで歩いている記憶が映画みたいに映像として立ち上がってくることがある。たぶん、わたしが小学校3年生の頃で、親戚のお見舞いで東京の江古田の病院に向かっている道中の場面だ。
父とわたしは手をつないで歩いている。
父がおもむろに「こうして手をつないで歩いてくれるのも、今のうちだよね。きっと今に手をつないでくれなくなるよね」とつぶやくように語りかけてくる。
急に寂しくなったわたしは、「そんなことないよ、大人になっても手をつないで歩くよ」と必死になって否定する。
ベタなドラマのセリフみたいだけれど、じぶんの人生の中でかなりインパクトのあるシーンだったのだろう、そのときの父の表情までぼんやりながら今でも目に浮かんでくる。

確かに、小学生の高学年になると、わたしは父と手をつながなくなったと思う。思春期に突入すれば、父とはかなり衝突したし、大人になるにつれ、父とふたりっきりになるのは、ちょっと気まずい雰囲気もあった。それでも、大人になってからも家族旅行は毎年のように行っていたし、一緒にテレビを見て笑ったり、冗談をいったりするなど仲はよかったと思う。アメリカのホームドラマみたいに、悩み事を打ち明けたり、握手をしたりハグをしたりするような親子関係ではなかったけれど、わたしは父を尊敬していたし、大好きだった。

父が病気になり、緩和ケアを受けているとき、わたしは久しぶりに父の身体に触れた。本を読んで仕入れてきた「タッチケア」を試みたいと思って、背中をさすろうと手を伸ばす。最初の頃、父は身体を触られることをかなり嫌がった。けれど、最期の頃になると痛みもひどくなってきたせいか、何も言わなくなり、逆に身体をさすってもらいたがった。母と交代で父の身体をさすれた、という経験は、父の痛みに無力ながらも寄り添えたような気持ちにもなり、今思うとわずかながらの救いだった。

ベットの上で父の手もよく握った。その頃になるとお互いの気恥ずかしさもなくなっていた。父の手は暖かくて厚みがあり、グローブみたいにがっちりしていた。触るとなめらかというよりはゴワゴワしている。病人の手とは思えない力強さが残っていた。爪の形はわたしにそっくりで、手のひらの大きさに比べると指は短い。中指のペンだこもいとおしく、何度も握ったりさすったりした。この感触はぜったいに忘れたくないと、父の死を予感しながら手を握っていたことを思い出す。

ひとは死んだらどこへ行くのか

小学生の頃の父との楽しい思い出といえば、一緒に本屋さんへ行くことだった。父は毎月、定期購読をしている雑誌が何冊かあり(科学雑誌「NEWTON」や「プレジデント」などだった)、それを受け取りつつ、他の本や雑誌を選書して買うのが習慣だった。父にくっついて行くと、わたしの欲しい本をいつも買ってくれた。今思うと不思議に思うのだけれど、父はそれらをツケで買っていた。

ある日、いつものように馴染みの本屋へ行き、父とわたしは買いたい本を買い物かごに入れていった。ふと見ると『火星への移住』というようなタイトルの本がかごの中に入っていた。表紙は黒っぽくておどおどろしく、ツルツルとした文庫だったと思う。わたしはそれ見たとき、大変だ、父はこの本を読んで火星に行こうとしている、と感じとてつもなく不安になってしまった。かごの中には何冊も本が入っている。一冊抜いてもばれないだろう、と思ったわたしは、勝手に『火星への移住』本を本棚にもどしてしまった。

家に帰ってから、父は買った本が足らないと言い出し、本屋に電話をすると母に話していた。慌てたわたしは、白状した。「パパが火星に行ったらいやだから、本棚にもどしたの・・・」半泣きしていたと思う。「そんな本、読まないで・・」

ひとは死ぬと星になるんだ、というのは昭和の「物語」ではよく出てきたベタな話だったけれど、そういえば最近は聞かないような気がする。なぜ、ひとは死ぬと星になるだなんて言われてきたんだろうか。宇宙のルーツを考えてみれば、そもそも星が生き物を、人間を作り出していったのだけれど。

ひとは死ぬとどこへ行くのか。これは人類の永遠の謎である。ナラティブとしてじぶん好みのものを選べるのならば、わたしは思い出すひとのこころの中で、ともにあるのだ、と語りたい。

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