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通夜と熱帯夜、そしてあんぱん

今日は元同僚の通夜だった。教会での式なので、通夜とは言わないようだけれど。故人をしのんで懐かしい顔が集う。親族が元同僚の話をする。魂はそんな自分たちをどこからか見ているのだろうか。教会の高い天井を見上げてみるけれど、気配は感じない。霊感など元からないので。最後に皆で花をお棺に納める。親族に遠慮して、そっと手向ける。手向けながら、感謝をする。生前世話になったことを思い返す。そうしていながらも喪服が汗ばむ。真夏の式は大変だ。(今、この時間ですら、窓を開ければ熱風が入り込む。)花を手向けつつ痩せてしまった元同僚の顔を見て、少し悲しくなる。そして、自分はしっかり生きなければと思う。笑顔で毎日過ごそうと思う。何があっても、笑顔。そうしようと思う。暑くて眠れない夜が続くけれど。帰宅して、夜、あんぱんを買いに行く。この時間なのにコンビニは大繁盛。あんぱんが食べたいという親に送るため。施設に入居しているけれど、コロナで差し入れにも行けないから。とりあえず、できることはしておきたい。毎日を悔いなく大事に生きるのは難しい。毎日が無感動な繰り返しに陥ってしまう。誰だったか、人生は、生きている間の暇つぶしだというようなことを書いていた。どう生きてもいいと。がむしゃらに生きても、したいように生きても。何もしなくても。そう考えるのもいいかもしれない。どう生きても、それが、経験だから。その経験を持って、また輪廻転生したいものだと思う。一度の人生で学んだことを、その人生に生かせているかは、なかなか自分では分からない。どんな時でも希望を持って生きていたいし、そうしようとしている。それが、次の人生につながるなら、心が穏やかでいられる。そうありたいと、日々思っている。


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