ちょっと残念
世に出る人と出ない人(出るって何?ってのは、まあ置いといて)。差異は何かと考える。
出ようとして出られない人っていうのは、だいたい(ほぼ?)ちょっと残念だったりする。
イラストなら、テーマが微妙とか、背景が何も語っていないとか。文章なら、構築力が淡泊だったり、書きぶりが平板だったり。スポーツならいわゆる「努力」が足りないとか(こりゃ当たり前か)。桑田も清原も人の休んでる間も練習してたっていうし。まあ、「努力」に集約してしまうのは反則攻撃だけどね。
チャンスが巡ってこないとか、出会いがないとかいう言い訳も聞くけど、もともと残念なんだから、そもそもそういうものはやってこない。
なにより残念な部分ってのは、どうも変わらないらしい。実も蓋もないけど。
じゃあどうするか。一番いいのは適当?なところであきらめてしまうこと。自分にがっかりし続けなくて済むから。次にいいのは、そのままひたすら続けていくこと。自己満足は満たされるから。希望は持ってるだけで財産だしね。
でもそれじゃあ、救われないっていうなら、やり方を変えるか、考え方を変えるしかない。自分のやり方をすっぱりやめてしまう。今まで「自分なり」に積み上げてきたと思っているものをとりあえず捨ててしまう。まあ、言葉でいうのは簡単だけど、正直言って、こりゃできるもんではないな。仮に捨てられたとしても、次の手立てが何にも思いつかなけりゃ、捨てただけで終わりだし。それが出てこなければ、一層、残念なままだ。
一方、考え方を変えるってのは、大きく言えば、生き方を変えるってことだから、これも、それなりに覚悟はいるかもしれない。そもそもどう考え方を変えるのか、それが見えなければ、変えようもない。
人様の言を借りるなら、今までやってきたこと、信じてきたことの真反対をやってみるっていうのがあるけれど、それでうまくいく保証は全くない。
十年一日のごとく、同じことを繰り返していくのが人生だとしたら、それはそれでその人の生きている証だし、誰からも、もちろん自分自身からも批判されるものではない。
けど、自分は自分に手厳しいんだよね。
進め、進め、いざ進め。明日が自分を待っている。そう呪文を唱えて、生きていくのが正解?かもしれない。それで、明日が迎えられれば、それでいいんじゃないかしら。
なんか実のない文章だけど、啓発本じゃないからさ。ちなみに職場じゃどうやら「夢を叶えるゾウ」だと思われてるらしい。なんでもやってあげるからね。ガネーシャ万歳!
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