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自己とゴリラと性と幻想

久しぶりにすごく早く帰れたので、ラジオをゆっくり聴いた。

デイブ・フロム・ショー。本日のお題は、自己は幻想。

人の脳は、世の中を、理解しやすいように補正して観測している。見えているものは、脳で理解しやすいように作られた世界。

その中心にあるとされる自己。その確たる存在は規定できない。

意識というものはそれ自体が幻想にしかすぎない。古の哲人たちもそのように論じている。

意識は確かにあるようでいて、何処にあるかは分からない。意識が認識している世界は、脳が都合よく作り出しているものだとすれば、それを認識している意識、自己もあやふやな存在でしかない。

確たるものはなにもない。

そんなお話。

それを消化しきれぬうちに、山極寿一先生のコロナと性行動のお話を聴く。

ゴリラ研究の第一人者の山極先生曰く、ゴリラは、食は隠すが性は隠さないと。人間と動物は、まったく反対の行動をとっている。

そして、人は性行動によってつがいを維持しているが、ゴリラはそんなことはない。それが、コロナにより接触が憚られるようになり、人の性行動も変わっていくのではないかと。

ほんの短い時間だったので、断片的な理解だけれど、ちょっと目から鱗なお話。

確かに動物は性行動を隠さない。ボノボはあいさつ代わりに交合するというし。余談だけれど。

幻想である自己が、文化といういつどこで変転するかわからない作られた危うい規範の中で、肉体の息苦しさを抱えて生きている。

そもそも現実と認識しているものさえ、脳が見ている幻かもしれないというのに。

そんな落としどころのないことを思いながら、今日はのんびり眠りにつけそう。

いい夢見ろよ、幻の俺。

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