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歩いても交わらない道

悩むのは馬鹿馬鹿しい。悩もうが悩まなかろうが時間は過ぎていくんだし。でも、悩むんだよな。ぐるぐるぐるぐる。そして、今日一日の出来事を思い出して、嫌な気分になったりするんだ。まあ、それを許そう。そういう生きもんだ、人間だものってね。前向きに、明るく生きるに越したこたないが、そうもいかん。いろいろ気がかりがある。それもひっくるめて生きてるってことだし。素敵な言葉を並べて、人を唸らせる文章を紡いで、それが正直な自分なら、その人は最高だ。表現するってのは、すでに作為の産物だから、まるっきり正直でもないんだろうけど。でも、正直な自分が吐露されているんなら、いいんじゃないか。なるべく正直にいきたいと思う。いいにせよ、悪いにせよ、自分にフィルターかけて発信するのは、自分の暗部をすっかり覆い尽くして、中でぐらぐら煮えたぎらせてしまうようで、ちょっと怖い。とはいえ、正直な自分は、なかなか受け止めてはもらえないけどね、誰にも。家族にもね。人は寄り添って生きていくんだけど、その寄り添って歩いてるはずの人とだって、その進んでいる道は、決して交わらないんだな。歩いても歩いても。歩けば歩くほど。自分とともに歩いているのは、神か仏だけだ。同行二人。歩いてきた道を振り返れば、足跡が二人分。時々、一人になってたりする。それは、神仏に見捨てられたとき?いいや、神仏が、弱った自分を背負って歩いてくれた道のりだそうだ。そんな時もあったような気もするし、ずっと歩き続けてきたような気もするし。陽だまりで、休んでいたような記憶もあるけど。それが妙に幸せだったりするんだ。記憶がお日様の光の中に浮かんでいる。ずいぶんと漠然とした物言いだけれど、そうなんだ。仕事を休んで、一人で立ち止まっていた時間。息を詰めないで、楽に呼吸ができていた時間。遡れば、ずっと昔、同じように一人日の光の中にいる自分が思い出される。それが、自分の中の暖かな思い出なんだろうな。立ち止まろう。どこかで、また。

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