国会待機よりも授乳待機を

昨年、一か月の育休を行ったのですが、起業したのと同じくらい人生観変わりました。

最近は名もなき家事の本が有名ですが、子育てをフックとして家事量が「日常生活」から溢れる感じはそもそも負担するものにしか分からないです。そこで、家事の大部分を占める「マイナスをゼロにする」ことを「功徳」のように重ねて、夫としての何かを蓄積していくわけです。

下記記事にあるように、育休は名前が間違ってるんだと思います。

産休・育休という言葉は正しくないよね。あれは全然休暇じゃなくて、超長時間労働

私も若手の頃に休暇を取らなさすぎて(申請方法すら知らなかった)免許失効させたくらいのワーカホリックでしたが、そういう人間ほど意味のある人生の転換だと思います。

言い尽くされてることでもありますが、産後間もないお母さんのケアの中でも、一番重要なのは睡眠時間の確保だと感じます。

国会待機には基本は終わりがあるわけですが、周期的なように見えてランダムな夜泣きはエンドレスな感じがあります。これは通常の精神を壊すタイプのシチュエーションです。最初の一か月、私も可能な限りの夜泣き・授乳のサイクルに付き合ったつもりなのですが、類似の経験がありません。授乳は男性でもできるわけで、朦朧とした頭でティファールのスイッチを入れて、ミルクを溶かすときに火傷して、の繰り返しだけで、見えて来る社会課題があるはずです。

そしてその果てに親やケアテイカーが来てくれた時の「神」感もまた、経験しないと分からないタイプのものであり、少しでもその対象を広げることには賛成です。

#COMEMO #NIKKEI

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