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CBDCについて語る前に一つだけ読んでおいてほしい文献

CBDCの議論は、初学者にとっては新しいのかもしれませんが、昔から金融論を勉強している人には「何を今さら」なアジェンダがでることも多いです。

リブラに関連して取材を受ける機会が何度もありましたが、よくある勘違いの一つが信用創造がコントロールできなくなるのではないか、という観点でした。

ただ、もちろん通貨の信認や発行権が変わらない前提であれば、例えば準備率100%のナローバンク(に類した制度)としての規制したらよいのではとか、そもそも銀行と電子マネーでできることの違いが分かっていないとか、そういう議論も多く。ただ、身近な話題であるだけに、何か言いたくなるのもよくわかります。サッカーとか野球にも近く。

今回は、第三者ではなく中央銀行自身が発行するものに関してなので、新しいテーマがいっぱいありますが、その前に、当座預金や準備預金の意味であったり、個人が例えば日銀に預金ができたらどうなるの、という基礎的なインパクトをまずは整理する必要があります。ただ、だいたいは外交のトピックとかシステムキャパシティの話に跳ねがちだなと思っています。

そこで一つの文献を。Long time agoですがin a galaxy called hongokuchoです。

72ページに委員のリストがあるのですが、金融の制度と、マネタリーポリシーを考えていくための、泣く子も黙る最強メンバーです。このメンバーがしっかり時間をかけて、民間電子マネーがドミナントになった時代の通貨代替の可能性であったり、そもそもマネタリーベースがゼロになった場合の思考実験を含めた議論を20年前にしています。世の中の前提は(残念ながら)あまり変わっていないので、ここで出てくる論点を消化したところで、今回のCBDCへの議論にいけないだろうかと思うわけです。

もちろん金融アベンジャーズたちがきっと予想できなかったのは、スマホ決済が2010年代に中国で進展して、ブロックチェーン技術が周知されたこと等色々あると思うのですが、国家の信認とセットとなるCBDCの議論であれば、Back to basicで変な議論というのは、個人的にはあまり生まれない(一方で、外交的覇権の議論は色々生まれる)のでは、というのが私の理解です。それよりも、まずは基礎的な勉強をまずしましょう。

この過程でのラーニングを池尾先生が分かりやすい論考にされていて、下記とかもとても読みやすく、本質的なことを見ようという気にさせます。

中央銀行は、常にフラストレーションを向けられるある種とても損な立場なのだと思いますが、そこにデフレ対策と同じようにデジタル通貨の発行を迫るようなことではなく、経済にとって本当に必要とされていることとか、表面だけなぞっても本質的には変わらないこととかを、改めて考える良いタイミングなのだと今は思っています。上記の議論もよく考えれば、不良債権問題がさく裂して、本当はそれどころではない中でもあったはずなのに、将来のことを冷静に考えている部分があったのですよね。

覇権的な話では、これも当たり前といえば当たり前な内容ですが、ボルカー氏の回顧録が面白かったです。

今から50年前の世界、そんなに遠くない過去に、利子平衡税みたいな概念や、金本位制を守るとか、インターネットがある時代にはクレイジーともいえる議論がされていたわけです。そこから、人間や情報のモビリティはとてつもなく変わった。その変化の中で、変わらないものと変わるものを、ゴリゴリ考える頭を持たないといけないと、改めて思います。

少し話題はずれますが、ボルカー氏は40歳くらいで通貨政策のど真ん中をハンドリングしていたのですよね。最近の例でもマーク・カーニー氏がカナダ中銀総裁に就任したのは42歳の時だったりしますし、とにかく発想を柔軟に、ただし古典と既存の研究には謙虚に、やっていきたいなと思います。

#COMEMO #NIKKEI

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