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うんちカタルシス

わたしの小学校時代からの、友人の話をする。

その友人は小学校時代、普段はそこまで目立たないタイプの男子だった。が、5年生のときに残したある伝説によって、先生からも一目置かれるようになったのだ。

その伝説は、彼が授業に遅刻した際に誕生した。
その日あった3時間目の家庭科の授業に、彼は5分ほど遅れてやってきたのである。

当然、先生はすでに授業を始めている。
しかもその先生は、生徒に若干きびしいことで知られている女性の先生。あーあ、あいつ怒られるね。かわいそうに。ドアを開けて入ってきた彼に、クラス中の注目が集まっていた。

わたしは先生をチラッと見上げた。案の定、眉根を寄せて彼をにらんでいる。
「もう授業は始まってるでしょ。なんで遅刻したのか、私にちゃんと教えて下さい」
強い口調で、しっかりめに問い詰める先生。教室にかなりの緊張感が走る。


そんな中彼は、背筋を伸ばし、たしかな足取りで先生のもとへ歩み寄った。
そして正面から先生を見据えると、こう言い放ったのだ。

「うんちが固くて出なかったからです!」


クラスはどよめいた。

どよめきの内訳は“うんち”というフレーズにウケて笑う声が半分、「おぉ~!」と彼を称賛するかのような声が半分だった。
無論、わたしは後者だった。

だって本来恥ずかしがる人が多いであろう「うんちをする」という行為、小学生なら尚更ですよ、これを同級生の注目が集まった状態で、ここまで堂々と、なんのためらいもなく、声高らかに告げられる小学5年生がいますか?いませんよね。これはほとんど革命だった。

「うんちをするって、べつに恥ずかしいことじゃなかったのか」
そんな“気付き”が、今さっきうんちと口にしていたとは思えないほど凛々しい表情をしている彼を中心に、ゆるやかに広がっていったのだ。

何よりもその、どんな状況でも正直をつらぬかんとする姿勢。加えて、自意識や羞恥心をみじんも感じさせない、毅然とした振る舞い。わたしはこれにだいぶ食らってしまった。
同じく食らってしまったらしい同級生たちの中には、拍手をしている人なんかももちろんいた。


この混沌とした状況に動揺してしまった先生は「私は、うんちで困ったことないよ。毎日、快便なんです」と、なぜか自分の腸内環境をクラスにアナウンスしていた。


全体的にかなり特殊な時間だったので、今でもよく覚えている。




あれから10年以上が経った。
彼とは今も、友人である。

ちなみに彼の「うんちが固くて出なかったからです!」と言い放ったときの勢いはその後まったく失速することなく、卒業後彼はそのままのスピード感で中学校生活を走り抜け、県内トップクラスの高校に進学した。
さらにスーパーかしこい大学に入学、順調に大学院に駒を進め、エリートへの道を営々と進んでいるらしい。うらやましい限りだ。あの感じで、誰よりもまともだったなんて。


そんな彼から、先日電話がかかってきた。
「大学に魂をさらけ出せる友人がいない」と嘆く彼は、小学校時代の友人たちをずっと大切にしたいらしい。なのでわたしにも、ちょくちょく連絡をしてくるのだ。

内容は他愛もない無駄話だったが、その会話の中でふと、わたしは当時の伝説を思い出した。
そのときの話をしてみると、彼も当時のことはちゃんと覚えていたようだ。「ああ、あれな~」となつかしそうに笑った。

よし、この流れで、数年越しにあのとき彼がどんな気持ちだったのか訊いてみよう。

そう思ったわたしは、彼にこう投げかけた。
「あのときみんなの前でうんちって言うの、恥ずかしくなかったの?」

すると彼は、まったくわかっていませんねというような口ぶりで
「いや、逆だよ」と答えた。

「逆?」
思わず問い返すわたしに、彼は言い放つ。


「だってふつうに生活してたら、クラスのみんなの前で、合法で『うんち』って口にできる機会なんかそうそう無いだろ?
でもあのときは、唯一それが許される場面だったし、それができるチャンスだった。
だからあのとき、おれはむしろカタルシスを感じてたんだよ!」


それは当時と少しも変わらない、力強い口調だった。


なるほどね~と思った。あとこいつヤバと思った。

わたしは彼に「それってつまり『うんちカタルシス』があったってこと?」と訊いた。

彼は「そう!それそれ!」とうれしそうに言う。電話越しに彼が頷く気配がした。


「それそれ」じゃないだろと思った。
念のため補足するが『うんちカタルシス』なんて言葉は無い。





彼とは今も、友人である。




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