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124 医師が覗き見る「日本社会のイマ」 

プーチン大統領の発言に何かしら違和感が走った。そこを覗いてみた。

『プーチン氏は18世紀の大北方戦争を取り上げ、「皆さんは、ピョートル大帝はスウェーデンと戦い、土地を奪ったのだと考えているかもしれないだが、その地域には何世紀にもわたってスラヴ系民族が住んでいたと主張し、大帝は何も奪っていない。奪い返したのだ!」と続けた。』と言う報道が違和感の震源である。

この発言からピョ–トル大帝はナショナリズムに基づいて、スラブ民族の意を解して、スエーデンを征服したと言う事になる。

しかし、そもそも、18世紀初頭にナショナリズムが定着していたのだろうか。
ナショナリズムは、18世紀後半のフランスから勃興していった。大北方戦争は18世紀初頭の1700年 - 1721年に渡っているのであり、明らかにその時代にはナショナリズムは新気流では無かった。

1789年に始まったフランス革命は、これまでの身分制社会の構造(旧体制・アンシャンレジーム)を解体するに至った。ロシア帝国を含む周辺諸国による対仏大同盟など革命が危機に陥る中で、革命の理念を継承したナポレオン・ボナパルトは、自由かつ平等な国民の結合,即ちナショナリズムを基盤とした国家をうち立て、一時はヨーロッパ大陸を支配した。

東欧世界では、ナショナリズムの伝播とともにオーストリア帝国ロシア帝国オスマン帝国などの支配下の民族がそれぞれ各民族による国民国家の概念を持つようになり、諸民族は自治権の強化や独立を求めるようになっていったのである。
プーチン氏の主張と矛盾してナショナリズムはロシア帝国にとり好ましいものでは無かったはずである。

ロシア帝国のような特権階級と大多数を占めた農民との階級社会では、分断されておて、ナショナリズムが育つ母場は無かったはずである。

要するに、ロシア帝国時代の大北方戦争は領土拡張に基づいた覇権主義であったし、これは、ナショナリズムが勃興する前に企てられたのであり、ナショナリズムと無縁であった。

「共同幻想」を共有することによってナショナリズムの元となるネイションは成立しているとされる。すなわちネイションとは「心に描かれた想像の政治的共同体である」と言うことであり、ナショナリズムはそれを思想化したものであろう。
このネイションとナショナリズは、歴史的には近代における社会と産業の必要性から生まれたと言われている。

以上から、プーチン氏の主張には恣意的なものを感じるのである。プーチン氏は自分だけの視点から共同幻想の世界を作り上たと思う。後年、コロナ禍ナショナリズムと名付けられるものかも知れない。

これにより多くの人命が失われて行く現実は失楽園そのものであり、覇権主義と隣り合わせの色褪せたナショナリズムである。

コロナに密着して行きます。


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