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羊と暮らすことから始める、暮らしに必要なものをつくるということ

織物を始め、糸を紡ぐことも覚え、そしていつしか羊も飼うようになりました。
羊はやっぱりなんとなくは飼えなくて、あれこれ迷ったり調べたり、いろんな人に掛け合ったりもありました。それでも、いつの間にか、って言いたい気分になるくらい、とても自然な流れでそうなっていました。

今日は、羊と共に暮らすことから始まって、生活に必要なものをつくる中で感じてること、書いてみたいと思います。

羊を飼う

羊を飼う前は、外国から来た刈ったままの羊毛を購入して、洗って紡ぐということをしていました。

その時は、羊毛についた草とか、毛の元の持ち主(=羊)の何かしらの痕跡から、こんな羊だったのかなぁとか、こんな牧場で暮らしてたのかなぁとか、なんとなくイメージしたりもしていました。
それは、今思えば、手の中のものがどこから来たのか、そういう繋がりのあるものを加工することが、深い喜びに繋がること、どこかで知ってたのかも、って気がします。

日本にも羊は結構飼われていることを知って、直接牧場で買ったり刈らせてもらったりもするようになりました。

そして、毛刈りをさせてもらってた牧場の羊で、今いちばん大切にしてる活動である、毛刈りから始まるマフラーを織る会をします。

そこから、飼うことになるあれこれの流れが一気に動き出しました。

その中で大事だったのは、もしかしたら、私はそうやって暮らしたいのだ、糸を紡ぐならそこからやりたいんだ、って強く思うこと、心を決めることだった気がします。

大地に育まれる羊と私と

ウールは、もちろん羊という動物の毛。だから、ウールという素材は、羊にもらってると思ってました。(そこには、たくさんの人が関わってくれてるんだけど)
だけど、羊を飼ってみると、草の心配をしている比率がなかなか高くて、飼い始めたころ、羊って大地に育まれてるんやな!ウールって素材も、大地の恵みなんやな!って、草を刈りながらすごく腑に落ちました。
それなら同じように私も大地に生かされてるんやな、って思ったし、なんだ、地球上の全てがそうやん!て、頭では全くもって当たり前みたいにとらえてたこと、深くそうだよなーって感じました。

パチャママって聞いたことありますか?南米で愛されてる地母神というんでしょうか。地球上の全てに、このパチャママの愛が行き渡ってるって話を聞いたことがあるのですが、なんというか、それが肌で理解できたような。あぁ、こういうことかぁ!って。

こういう感覚って、その時いかにうわぁ!って思っても、すぐにうっかり忘れちゃったりもする。けど、長い時間をかけて加工して衣類などにしていくうちに、やっぱり知らず知らずのうちにも、大地とのつながりをどこかで体感していくし、そういうつながりの中に生きてる安心感がつちかわれていくような気がしています。

これって、私たちみんなが生まれる時に体験する、バーストラウマ、お母さんと分離する衝撃を癒してくれるみたいです。
ひとりの人間として親と別れた後は、(親子はまた別の繋がり方に移行した後は、という意味です)大地というお母さんと一緒にいればいい、ということを聞きますが、ほんとにそうだって思います。

そういう安心から遠ざかって生きてきたこと、それが当たり前みたいになってること、とてももったいない気がします。
私も遠ざかってきたし、私たちの社会?文明?が全体にそうなのかなって気がします。
そんな中でも、こんな安心を都会でもどこでも保って暮らしてる人もいると思うし、そんな人は強いな!って尊敬がわいてきます。でも、どこでいたって地球の上だから、ほんとはできるんだろうな。

ちょっと脱線ぎみですが、そんなつながりをわかりやすく感じられること、私にとってはとても力強い助けになっています。

大切にする

羊毛に限らず、大地と繋がっていたところからつくることを始めると、できたものを使う時もだけど、加工をしている間も、大切なものとして、丁寧に扱うようになります。
素材を、ただの材料としてだけでなく、生命として見られるからなんでしょうか。

何かを愛おしく、大切に扱うこと。それって、回り回って自分を大切にすることにもつながるし、愛おしいものを大切にすること、その事自体が幸せ!って感じられることのような気がしています。

全ての工程が、楽しく、愛おしくつくったものを身につけられるなら、それはなんだかお守りみたいだなって思います。

そんな全ての工程の始まり、毛刈りが、今年ももうすぐです。

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