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ぼくらは美しいお肉の塊

旦那さんは毎週土曜の朝に旅サラダを見て、神田正輝が元気にしてるかどうかをなぜか確認している。この行為をわたしは心の中で密かに「今週の神田正輝」と呼んでいて、ミニコーナーみたいな認識でいる。ちなみに最近は一時期よりもふっくらされてて、顔色もかなりいいみたい。先週もTVをみて「元気そうやわ」とのこと。元気が1番だ、なにより。


(いっこまえのnoteのほぼ続きみたいなやつ)

結局は興味あるひとしか読まない。それに、自分が思ってるよりもそこまで誰にも注目なんてされていない(ネガティブな意味じゃなくて)  だからnoteやってます!って公開してもしなくても、周りがなにか特別変わるわけではない。その反面、「え?こいつほんとはこんな奴だったの?おもてたんとちゃうやん」とがっかりされるんじゃないかという恐怖心や、この文章はわたしだけどわたしの【全て】ではないから!みたいな?側面だけをみて判断されたくないという謎の反抗心とか。そんな気持ちが押し寄せて行ったり来たりしていた。後にも先にも【やりたかったらやればいい】でしかない。勝手にしなさいよ!でしかない。


もっとシンプルに考えて、頭で考えず湧き出る気持ちを大事にしたらいい。いま、少しラフになれて、いい意味で拘らず、執着せずにいろんな感情を手放せるような兆しがあるのだから、この感覚を大事にしたい。ぜんぶわたしの一部なんだから、どしっと構えたらいいじゃん⭐︎  #まぁ間違える時だってあるけどね⭐︎ ハッシュターグ!!みたいな気持ちでおろう(ギャルマインド強化中) うん。

1年前の自分からは想像出来ない気持ちの変化に戸惑うけど嬉しいし、おもしろい。それに変化が訪れることが自分の中の「タイミング」でもある。どういうわけかと思いながらも、この「変化」に心当たりもなんとなくあったりなんかして、妙に納得できる。こんな風に変化を感じると、やっぱりにんげんはナマモノなんだと気付かされるなぁ。いつだって、いつからだって自分を育めるのだ。新鮮でおいしいお肉になりたい。そう願う。

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