前会社はコロナ禍でマスクを当然していたが、社員の大勢がくしゃみ、咳時マスクを外し床にかがんでしていた。
マスクを汚したくないらしい。
ええと。では最初からマスクをつける意味あります?飛沫は直線でなく拡散でしたよね?
コロナ禍でマスクの意味において賛否分かれて
つけるべき
と
つけたくない
でもめていたが、知識を専門家にゆだね、どの知識を信じるかと選択せざるを得ない一般人においてその取捨選択をする知識の信憑性を判断する知識がないわけなのだから、プラスマイナスの可能性で“一応”しておくかどうかを考えれば良いと思っているのだが、
「つけるべき」
→飛沫感染を軽減する。
一般人→無知ゆえ定かでない。
軽減する可能性50%→プラスになる。
する意味がない50%→プラマイ0
(不快等感覚過敏という障がい以外の個人の感情を省く)
「つけたくない」
→マスクでは感染を軽減できない。
一般人→無知ゆえ定かでない。
軽減できない→つまりつけていないときと状況が変わらない。50%
→プラマイ0
軽減できる→マイナス50%
「つける必要はない個人の自由」などと主張していた方々はこの可能性で動けていないし、コロナ禍という非常事態に連携を要する人間社会で生きるにあたってかなり身勝手と言える。
この身勝手で社会のサイクルに必要な人員をコロナ感染によって減らすとなるとかなり社会において弊害であると思う。
なのでプラマイ0〜プラスの「マスクする」側とプラマイ0〜マイナスの「する意味ないからしない」を見たとき緊急事態において一応しておこうかとなぜならないのかがわからない。
この感覚は「意見をハッキリ言う」とプラスのように表現されてる中身のない理由がない感情のまま発言している外国人を見ている感覚と同じである。
明白な理由を持って反論するのは良いことと思えるが、自身の感情のまま周りに当たるただ声の大きい人々との混同により物の良し悪しが判断できてない気がする。
仮に3つ目の意見としてマスクをすることで感染を拡大させると専門家の意見があった場合迂闊に動けず、しない派にいたる場合もあるかと思うが、私の記憶でそんな情報なかった。
前会社の面々にも言えることだが、何かしらの理由で“できない”と自身の理由のみで“したくない”の差がわからない人が多い気がする。
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