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#45:家庭のDX(番外編)〜Amazon Echo

家庭のDXについて、以前考察した。DXとは、デジタルが生活を根底から変える現象という結論に(自分の中では)なった。

その結論自体は変わりないのだが、生活を根底から変えるというのは、引き続きイメージが湧きにくい表現だなと思っている。

そこで、これまでに自分の身近なところで1番生活を根底から変えた製品である、Amazon Echoについて書きたいと思う。(なお少し身内の不幸話も含まれるので、そういうのが苦手な方はスキップしてください。)

Amazon Echo導入

いわゆるスマートスピーカーであるAmazon Echoについて、そんなものは置いてないという家庭も多いと思う。置いてない人に、その利便性や快適性を説明するのは少し難しい。なぜなら、私も最初この製品の必要性について懐疑的だったからである。

結論としては、特にスマートスピーカーだからこそできることはない。音楽をかけたり、天気やニュースを知らせたり、家電のスイッチ代わりになったり。全て他の手段で事足りる。だから置いてみないとその手軽さや快適さ加減はなかなか実感しにくいと思う。

しかし、一番使いこなしている10歳の息子を筆頭に、朝からAlexaに天気を聞いて、目覚めの一曲をかけてもらう生活に溶け込んでいる。それくらい、我が家のメンバー全員にとって当たり前のツールになっている。

母の在宅療養とアレクサ

この春先の季節は色々と思い出す。数年前、癌の進行した母は退院して最期の時を実家で暮らしていた。休みを取ってしばらく母との時を過ごせたことは今でも良かったと思ってる。

在宅ケアをしていただける医師や看護師の皆さんにも本当に感謝したが、この時、意外に活躍したのがAmazon Echoだった。うちからひとつだけ子機として持ち込んだのだが、母は好きな歌を手軽にかけて喜んでいた。井上陽水や荒井由実、声で話しかけるだけで音楽をかけてくれるのが病床の母には最適だったようだ。

父とアレクサ

母が亡くなった後、実家でひとり暮らす父の存在はやはり心配であった。昔から歌うことの大好きな父は、Alexaに昭和歌謡をリクエストして一緒に楽しそうに歌っている。

また当時はアカウントを共用していたため、父が歌い出すとこちらの家の再生が止まる(同時再生数の問題で)という現象があり、今日も楽しく歌ってるのだなーと、安否確認代わりとなっていた。

その後、アカウントをFamily メンバーにしたことで再生停止はなくなったが、それとともに父には画面が見えるEcho Showをプレゼントし、孫の写真を中心にシェアすることにした。全くテレビに集中できず、孫の写真ばかり見ると嬉しい悲鳴をあげているようだ。

実家に帰る度、Alexaをありがとう、おかげで楽しく暮らしてるよ、と毎回感謝される。

生活を根底から変える

最初は興味本位で導入したAmazon Echo。なかなか話しかけない時期もあり、そのまま、ホコリを被る可能性もあった。

それが自らの生活より、周りの家族、息子、母、父の生活に彩りを与える様子を目の当たりにした。これは予期しない出来事だった。でも確実に我が家の生活を根底から変えた。いまやなくてはならないものである。

本当の家庭のDX。心からそう思う。


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