見出し画像

#111:交換日記の解像度

先週のサザエさん。フネさんとおカルさん(伊佐坂家)が交換日記をするという話。

ワカメの交換日記に触発されて交換日記を始めると、日々の何気ない出来事を書くだけでお互い楽しい気持ちになるという話。最終的には、話題が持たず、オススメのレシピ交換をする。

日々の出来事の解像度

普段、自分に起きる日常は仕事であれ、それ以外であれ、原則、起きたこととして当たり前に捉える。この「当たり前に捉える」は、実は、かなり落とし穴だ。

いちいち真剣に驚いたり、喜怒哀楽を全面に日常を過ごすと神経がもたない気もする。しかし日々を楽しく生き生きと過ごす人を見ていると多くが物事の捉え方(感性)が瑞々しい。単にポジティブに捉えるでもなく、そこにあるおかしみや違和感を適切に切り取ってみたりする。

感性が鋭いは才能でもあるけど、物事の捉え方に対するスタンス(態度)だったりする。まあ広く言うと生き様や生きるスタンスに近い。

そう括ると話が終わるので、他の言い方にするとそういう人は捉え方の解像度が違う。たぶんレンズが少し違って出来ている感じ。

例えば、職場で誰かがかなり怒られていても、怒られた理由やその時の発言や顛末は傍におき怒っている人の癖(表情やジェスチャー)や怒りやすい時間帯の分析など、違う視点で見ていたりする。(あとで上手に再現したり)

交換日記の解像度

話がそれた。
交換日記は、何もフネさんの日常におカルさんが想像もしないような、エキサイティングな出来事が起きていて、読んでいて楽しいという種類のものではない。(磯野家だけエバンゲリオンばりのS Fな日常が繰り広げられていたら、それはサザエさんではなく、エバンゲリオンになる…日曜のあの時間には見たいだろうか)

あくまでお互いありがちな日常生活の中の出来事を語るのだが、その出来事のピックアップの仕方が面白いので読んでて楽しいはずだ。つまりお互いの解像度が微妙にズレている。

それはレンズそのものだったり、レンズの当て方だったり。そして、それは日記のような些細な出来事を書く場面で明らかになる。自分とは違う視点や解像度での物事の見方に触れると、実にへぇーっ(なるほどね)となる。

そして料理レシピ

ぼんやり物語を追いかけてると、単に話すネタがなくなり、結局はレシピ交換に落ち着いたというオチに思える。

まあそういう側面もありつつ、料理というのは奥の深い、解像度を上げるとどこまでもディテールを味わえるコンテンツだと感じる。いわゆる料理沼にはハマると底がない。

そういう捻くれたオチではないが、料理のレシピを交換に至るのは個人的に味わい深い終わり方だった。日常の細部にその人の魂は宿る。

落語の時間

今日は久々に落語会。解像度の違うプロの底なしの世界観にハマりたいと思う。では。

21時追記 全員ナチュラルにイカれた最高の会だった


この記事が参加している募集

サポートなんて恐れ多いので、代わりにコメントいただけたら嬉しいです。