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#90:過ぎ去る景色

少し油断すると今年も既に20日経過している。noteに至っては1ヶ月以上空けていた。

時の経過が早いと、まるで車窓から外の景色を眺めているような気分になる。どんどん景色が後ろに消えていく。すごい勢いで、視界からも記憶からも消えるので何も残らない。

年末年始は毎年同様、取り立てて何もなく、ある意味でそれはとても幸せなことだろう。この期間には何も始めたくないし、何も終わらせたくない。天邪鬼だが、なぜかそういう気分。

過ぎ去る景色のひとつ

もう少しカメラを高くして時間の幅を広げるとコロナ前後では街の景色も様変わりしている。

分かりやすいのはマスクをした人のいる風景。

電車でも外を歩いていても、マスクをしていない人は居ない。この景色はいつまで維持されるだろうか。いや、マスクしない人が街を闊歩した景色は今のところ過ぎ去っている。

海外の街をマスクなしで歩く人々がニュースに映し出されると、強い郷愁に近い感情が湧き上がる。コロナの最後に平和の象徴として映し出されるべきは、こういう景色だろう。それは、誰もが批判の目を向けずに済む日常風景。

大きなビルの建て替え

もう少し分かりやすいのだと、長年建っていたビルの建て替えなどあると街の景色は変わる。

職場から見える古いビルの建て替え(今は壊す段階)を毎日ぼんやり眺めている。あまりに大きなビルだと、そうそう一気には壊せない。

徐々に解体される姿は、儀式のようであり、見てはいけない手術を垣間見てるようでもある。外壁が取り外されて中身が晒されるが、大き過ぎるのでまだビル自体はしっかり建っている。まるで上半身から朽ちていく巨神兵のように。

そのビルに特段思い入れがあるわけでもないが、ふとそんなことを感じつつ眺める。物事が変わる時、そしてそれが目に見えて分かりやすいと、人々の心を少なからず揺さぶるようだ。

常に変わる景色

とはいえ、細かなひとつずつを取り上げて考えれば、毎日景色は変化している。むしろ昨日と全て同じということはひとつもないはずだ。

自分が日々見てる景色も自分のモノの見方も。

正月の景色がすっかり消えた街を見ながら、ふとそんなことを考えていました。

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