#244:中年の危機
最近キャリアコンサルタントの勉強中の妻から、昨日「あなたはまさに“中年の危機”のようだね」と言われて、「え、何それ?」となった。
中年の危機とは
"中年の危機"というフレーズは何となく聞いたことがあるが、どうやら、40〜45歳の頃に起きるいくつかの葛藤のことらしい。(諸説あり)
分かりやすいところで「若さ」と「老い」の葛藤がある。体力的に衰えつつあるがまだチャレンジできる年齢でもあり、若さだけ経験(老い)だけという片方では勝負できなくなってくる。
両方をうまく統合して使っていく必要とのこと。
人生の(仕事人生でも)折り返しとなる40代は、様々な葛藤があることから"中年の危機"と呼ぶらしい。
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ところで、最近妻はキャリアコンサルタント講座に毎週通っており(日曜10時から18時半までの講義!)、資格試験に向けた知識を蓄えている。
その中間試験が間近に迫っており、最近の妻はキャリアコンサルタントのことで頭が一杯の様子。
"中年の危機"というキーワードも覚えるべき知識のひとつである。詳しくはレビンソンが提唱したライフサイクル理論?に出てくる言葉らしい。
それを記憶する過程で、分かりやすいサンプル(=夫)がいたので冒頭の発言になったようだ。
思い当たる節
妻の発言は勉強のためだとしても、自分でも"中年の危機"という指摘に思い当たる節はある。
まずは40代に入ってから2回転職していること。これはまさに職業人生として葛藤の中にいることを示している。
仕事以外でも、40手前から始めたテニスにハマり最近は週2回通ったり、試合に出ようとしたり。体力面でも若さと老いの葛藤に向き合っている。
加えて、今年は近所の畑を少し借りて野菜を育てることにした。子育てがひと段落し(まだ中学生だが手はかからなくなりつつあり)、何か別のことを模索していると、土いじりがしたくなった。
夫が節操なくあらゆる行動に出ている様を見て、妻は中年の危機だと感じたらしい。
恐らくそれは間違っていない。
危機なのか
中年の危機に当てはまるような、あらゆる葛藤を抱えて右往左往している自覚はある。
ただひとつ、危機という言い方だけが気になる。果たしてそれは本当に危機なのか。
葛藤の末、大きく生活や人生を転換する決断を下すこともあるだろう。また葛藤する中で悩みが深く、心や体調を崩すことも考えられる。
それらを指して、危機と呼ばれるのだと思う。
一方でこれらの葛藤を乗り切っていければ、この後の人生の後半戦もなかなか楽しく生きられるという予感もある。
そして、そんな先の話でもなくても、いま渦中にあるこの葛藤自体、よくよく見つめてみるとそこまで悪くない。不安もあるがワクワクもする。
飽きからの解放
危機とも呼べるけど、変化の機会だとも思える。
そもそもあらゆる葛藤は、青年期(20歳前後)から続けてきた生活(会社や暮らし方、考え方)に限界が来ている証拠だと感じる。
年齢的にもう続けられないこともあるし、単に長く続いてマンネリしていることも原因になる。
マンネリでも慣れ親しんだ生活や仕事を変えるには、やはり不安を感じる。その恐怖を乗り越えるのは勇気とか挑戦とか、そんなカッコ良いことが理由ではなく(そういう人もいるとは思うが)、自分の場合は"避け難い飽き"が動機だ。
要するに飽きていて、何となくつまらないのだ。
これがまた何十年続くのかと思うと、多少怖くても変化に飛び込むしかないのだと思えた。
そうして、いざ飛び込んでみると不安や恐怖心は少しずつ軽くなるし(なくなることはないけど)日々の変化に喰らいついていく時には、当然だがつまらないとか悠長なことを感じてる暇はない。
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すぐ側で不安定に彷徨う夫を眺めているのは、確かに気分良いものではないかもしれない。
そう思うと妻には少し申し訳ない気持ちもあるが、彼女もキャリアコンサルタント資格にチャレンジしている。似たもの夫婦なのかもしれない。
不惑の年代を迎え、夫婦で思い切り惑っている。
もしかしたら、不安定な両親を抱えた息子が1番の被害者かもしれない…。
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