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見上げるのは遠い世界

冬になると人肌恋しくなるというが、わたしはよっぽど春の方が人を求めてしまう。新しいことが始まるこの季節に1人だけ置いていかれるのが怖いからなのか、それとも1人きりで桜を見るのが怖いからなのか。
何もかもが不安に包まれる気がするこの空気が、昔からとても苦手だ。

母の病気が分かってから数年、最初は絶望的に思えたその病状も、彼女の少し珍しい免疫力が発覚し受けられた新たな治療法のお陰で持ち直し今は数週間に一度の通院以外は以前とさほど変わりのない日々を送っている。

わたしはというと、それでも「今は爆発しないことが分かっているがそう遠くない日に必ず爆破する爆弾」を常に抱えている気分で気は重く、能天気に笑う母を見て安心しつつも時々疎ましく思ったりしている。
大病を患う母の看病をわたし1人に押し付けて連絡一つ寄越さない姉たちとの関係も益々悪化し、長く引きこもった末に社会復帰する勇気もとうに失ったわたしは、日々中身がどす黒いものに侵食されて腐っていっている。

それでも。
それでも生きていかねばならぬので。
せめて毎日息をしていたくて、贅沢にも楽しみが欲しいと手を伸ばす。
今は推しの存在に生かされている。SNSで仲間と交流したりファンアートと呼ばれるイラストを描いたりして、薄い皮膜のようなもので心が守られる程度の承認欲求を満たしつつ、日々を過ごしている。

かつての同僚は結婚して子供が出来たり、新しい職場で大変だけど忙しく働いていたりするというのに、わたしはどんどん落ちていってる気がして惨めに感じる日もある。
救いなんて何もないし。
相変わらず指先はこんなに饒舌で頭の中の自分もひっきりなしにお喋りしているのに、実際に人と会うと少しもスムーズに話せなくて、世界からどんどん切り離されていく感覚が強くなっていく。

でもまだ諦めきれない。
どうなったら幸せと思うのかも、常に不安を感じているこの心が落ち着くのかも今となってはもうわからないけれど、今とは違う世界を諦められずにいる。

浅ましくて陰気で何の役にも立っていない気がする自分でも、笑って生きて良いのだと思える日が来たらいいと思う。

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